思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『耳』


普段、耳の恩恵を当たり前のように感じているが、耳のお陰で音楽や人との会話が楽しめているのには、感謝しかない。
目や口もそうだが、人間の身体機能はお母さん的機能、と言っても良いくらい、普段感謝はしないが、オイラたちに恩恵を与えてくれるありがたい存在なのである。
そんな機能に対して、オイラたち人類はいたわらない。耳掃除するのを後回しにしたり、歯磨きを適当にやったり、スマホをついつい見過ぎてしまったりする。
最近、知り合いが耳垢が詰まって右耳が聞こえなくなった、と聞いた。
病院に行くも耳垢が鼓膜にへばりついて、右耳の奥につながるトンネルが遮断され聞こえなくなってしまったのである。ちなみに、彼は一人暮らしで綿棒はエアコンを掃除するように買ったのであり、耳かきはそもそも家に置いてない。
人間の身体も、人工物も、同じくメンテナンスをしなければ、しっぺ返しを食らうのである。

しかし、ここで立ち止まって考えてみる。
じつは、オイラはとんでもない勘違いをしているのではないか。
もしかしたら、その彼は、何かを聞かないようにしようと、あえて耳垢で耳穴をふさいでいるのではないか。
地獄耳という言葉がある。
自分の悪口や噂話など、何でも耳に入ってくる。聞こえないように小さな声で「肥溜めにおちろ」と言われているのにも関わらず聞こえてしまったり、「なんかよくわからないアニメのキャラの抱きまくら30本持ってるんだって」と、自分の誇りに思ってることを揶揄してきたり。
その声の主がどんどん調子に乗り、どんどん近づいてきて耳元でささやくように言うようになっていったとしたら。
そうなったら、それを聞きたくない人にとっては本当に地獄のように感じるのかもしれない。
つまり彼は、耳垢で何も聞こえない状態、『極楽耳』を創り出す途中だったと考えられる。
何も聞こえないなら、自分のペースで、この世界を生きていける。
そう身体が反応したのだ。

もちろん、今まで聞こえていた音が全く聞こえないと、大変なこともあるだろう。
だから、耳垢なのだ。
いざとなったとき、地獄と極楽の間の『現世』あたりになるよう調節をして耳垢をほじくり出し、必要最小限、聞こえるようにする。地獄耳が働いてしまうつらい現実から一時的な逃避としてやっているのだろう。

また、その彼は母のことが好きだ。
母が元気にすするソーメンの音を聞くために、結局のところ病院で耳垢をすべて除去するという、悪口や噂が聞こえまくる地獄にまた舞い戻る決断をしたということだ。
そんな悪口を言ってる奴らには、その多少マザコン気味の彼の耳の垢を煎じて飲んでもらいたいものである。