思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『念』

はたして、「今、誰かから念を受けています!」という人はいるのだろうか。
寒気がしたり、声が聞こえたり、まだまだ未知のものが故に、得体のしれない恐怖がある。
逆に応援的な「念」もあったりして、いつもの倍の量ご飯が食べられたり、男なのに一輪車乗ってるとき股間が痛くなかったり、耳掃除をしてなくてもイヤホンからクリアにベースの音が聞こえたりするのも、誰かがあなたに応援の「念」を込めた結果なのかもしれない。

さて、人から人への念の次に疑問になるのは、『モノへの念』だ。
モノへ『念』を込めれば、そのモノはそれを感じ取り、何かしらの影響があるというのか。
たとえば、オイラが買った株が上がるように株券に念じれば、どこかの証券会社だかどこだかにあるだろう株券の方でそれを感じ取り、その株券からの念が今度はモノからモノへというように東証一部上場を司るパソコンに送り、株価格の操作でもしうるというのか。

ちなみに、いまのところ「あ、念を送られてるな」と感じるまでに至ったことは一度もない。
シャンプーでついでに身体を洗うのも、回転寿司で120円の皿しか食べないのも、全て自分の意志である。

もし、これからオイラに『念』を送る方がいらっしゃったら、脂肪と闘う気持ちを奮い立たせるような『念』を送っていただけるよう、お願いしたい。
今、オイラの中では『腹についた脂肪』からの「もっと増やさせろ」という『念』を押し返しまた押し返されの、せめぎ合いが起こっている。
「腹についた脂肪を抑えるだけの『念』の強さがあれば、こんなに腹の肉がつくこともなかったのに』と、後悔している。
また、あるいは抑えるだけでなく『脂肪の増えようとする念を変えさせる念』を習得しなくてはならない。いばらの道だ。
そんな強い思いを胸に、まずは好物のいちごケーキのカロリー念の力で減らせないか、念じながら食べてみるのである。