思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『うぬぼれ』


この女性は、オイラのことが好きかもしれない。
自分を過大評価し、特に何ができるわけでもないくせに、人からモテていると勘違いしている人がいる。うぬぼれ屋だ。小さいときに父母が我が子可愛さに褒めまくってしまい自惚れる原因となり、罪深い行為である。
そのせいで、自分は特別な存在だという思い込みをするも、それに賛同するのは自分の親だけであり、特にアイドルやモデルにスカウトされるわけでもなく、運動や頭が際立ってよいわけでもなく、認識と現実の齟齬が精神を蝕んでいき、結果そのフラストレーションは、わいせつ物陳列罪に向かっていくのである。
他にも、何の気なしに微笑んでくれる異性も、ある意味では悪魔の所業だ。
普段、異性と関わりなく生活をしていると、少し優しくされただけでWエンジンよろしく惚れてしまうことこの上ない。
その優しさというのも「忘れ物を教えてくれた」「お釣りで手を触ってくれた」とアメンボレベルのもので、そして「微笑んでくれた」ようにみえただけで自分のことを好きだと勘違いし、それならば、と自分も好きになってしまい、またまたわいせつ物陳列罪行きに直行するのである。
こういったことを防ぐにはどうしたらいいのか。

一つは、小学校で、微笑み教育をまず始めていただきたい。
微笑みを特別にしないで、みんなする方される方にするのである。
そして、世の中の好きのアピール法を統一することである。
ジョジョのポージングのような、絶対にあり得ない格好でしか好きのアピールをしてはいけないし、それ以外は好きではない、という教育だ。
目があっただの、声のトーンが自分のときだけ半音上がっただの、そんなうぬぼれが通用しないカッチリとした教育で、悲劇は未然に防げる。

教育が勝つか、うぬぼれが勝つか。
教育でどうにもならないのなら、そのへんで微笑めば『微笑み代』を請求できるようなドライ感が当たり前になれば、微笑みの絶えない世の中になるかもしれない。