思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『ひいき』


世の中にあって当たり前のもの。
それは、『ひいき』と空気である。

小さいときから学校生活や社会生活は『ひいき』されるかされないかという側面を持ち、「ひいきは受けれるなら受けた方がいい」という費用会社持ちの健康診断のような性質を帯びているのだ。

しかし、世間的に『ひいき』という言葉はマイナスなイメージがこびりついている。
社会に出ると、お店を開くにしても営業で外回りをするにしても、結局はひいきされることを目指すのに、だ。
おそらく、小学校の時の『どんな人とも平等に接しないといけない』という道徳的価値観から来ているのだろうが、教えている教師は果たして平等に人を扱えているというのだろうか。
結局は自分の気に入った子をひいきする。
中には教師という立場を利用して変質者的に、子供のことを可愛がる=ペロペロ舐めるようにする、と曲解している人間もいそうで怖い。
どうしてそういう考えに至ったのかはわからないが、人に迷惑をかけてはいけない。まず、そういう『舌先を使っての曲がったひいき行動』をしそうな人間は、ひとまず渦巻き型取っ手付きのキャンデーをひいきにして、その気持ちを抑えてほしい。
アダルトビデオのある日本では性犯罪は少ない。
それなら、その舌を使っての不快な行動を、キャンディに向けることで、応急処置としてその間違った可愛がり方の発散をしてほしい。キャンディの費用は医療費負担だと、その変質的な人も経済的には助かるだろう。
もちろん、その間に、それに伴う薬物療法や、神経回路を組み替える処置が効き目があるなら、それも考えて、その『曲解』を社会の考えに近づけることをお願いしたい。

彼らには、小学校からやりなおせ、という言葉を使えない。
もちろん、危ないから、である。
なので、彼らはタイムマシーンかなにかで未来に送ろう。
未来の日本は少子化に次ぐ少子化が終わり切って、高齢者のみの国になっており、彼らは否応なく恋愛対象を60歳ほど引き上げなくてはならなくなっているのである。