思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『繰り返し』


ポリリズムではなくとも、心地よいものは繰り返されると良い。
しかし、不快になることのほうが、よく繰り返される。
とあるスーパーで、109円と表示されていたマルチビタミン系のオレンジジュースが、レジにバーコードを通して表示された金額は、129円。改めて、レシートを確認するも、やはり129円だった。
この店では前も紅鮭の切売りやレモン汁の値段表記がレジを通った時の価格が異なっており、若干うんざりしながら、近くの店員に声をかけた。
そして、店員の第一声は「何か表示が違いましたか?」だ。なんとなく、この件に対する日常茶飯事感を受けつつ、ジュースの値札が違うんじゃないか、また、前もこういうことがあった旨を伝え、言いたくもないがまた繰り返さないよう、お願いをして退店。
いつも世話になっているそのスーパーに、強く訴えることはできないのもまた、不快なところである。

そして、繰り返して不快を起こさせるものとして、『クセ』がある。
オイラも、相方からよく「人の吹き出物まで潰さないで!」と怒られるのだが、プチッとしたものを潰すクセが昔からある。最近は、火傷した水ぶくれを出来て4~5分で潰した。
それが、人から見ると、不快に映るらしい。
他にも、『電柱を触る』『皿から料理を取る時は自分から遠くのほうから』とか、ちょっとしたこともあるが、こういったことを不快に感じる人に対して、なにか努力できることはないか。
それは、クセを100個に増やすことである。クセが増えれば、そこには良いクセもあり、悪いクセが相対的に薄まり影を潜める。
オススメのクセは、やはり王道の『人並みをかけ分ける時に手刀を切る』ことや、『人と話し始めた途端にアルカイックスマイルになる』ような、配慮のあるクセだろう。
まちがっても、このアルカイックスマイルが飽きたといって、顎を突き出しアイーンのようにしていってはならない。
クセになるということは、どうしても自分色に染めていってしまうということであり、結局繰り返すのは自分の快感があるところだ。
これが、クセの怖いところなのである。

結局は、クセがある人間よりクセになる人間でありたい、と思うのだが、そんな綾小路きみまろのような人間にはなれそうもないので、いつでも取れる位置にある小魚アーモンドを嚙み砕いて過ごすのである。