思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『わだかまり』


夏はアイスと一緒で、わだかまりもとけやすいと良いな、と思う。
「夏は心の鍵を甘くするわご用心」と昔、誰かが歌っていたので間違いない。

わだかまりは、人を用心深くに陥らせる。
ちょっとしたボタンの掛け違いがあったかな、と思っても、手探りでボタンを探し始めた時に、実はジッパー式なんじゃないのか、マジックテープで留まっているだけなんじゃないのか、などと手を動かす前に考えを巡らせてしまうのだ。
その間探していたボタンは見つからず、そういえば上半身は裸体だった、と指が乳首に当たって理解したりするのだ。
不毛である。

しかし、きっと、そんなわだかまりというものに対しても利用してやろう、と頭のいい人間も出てくることだろう。
人とわだかまってのし上がってやる、と心に決め、わだかまりの作法を極めわだかまりの達人になり一線を退き、わだかまり健康法を世に知らしめ復活する。
そして、多くの教え子に囲まれながら「俺はわだかまり一本で生きてきた、天国でもそうする」なんていって、別れを惜しまれながら死んでいくのだ。
おそらく、彼はわだかまり方を知っているがゆえに、わだかまりの解き方もうまいことだろう。
その方法の一つはおそらく、『ギャグ的な首のしめ合い』にある。
わだかまりがピークに達し、ギャグ的に首を絞めながら前後に振ったり、くるくる回ったりしてると、不思議と気持ちが和んでくる。もう、心の中の罵る気持ちや蔑む気持ちが霧のように消え去っていく。

とどのつまり、笑いのツボを押さえるのがわだかまりを解くことにつながることだろう。
どんな笑いが好きかはわからないが、新喜劇の笑いがまずはオススメだ。
「筋のある程度決まっている笑いの芝居に、二人で挑戦する」という共通意識を持つことで、わだかまりは解けるはずである。
そう、目的意識を持って、研究として二人でともに新喜劇の動画を見ている時は。
二人で新喜劇を見ているうちににわだかまりが解かれるなら、そのあときれいに新喜劇的芝居を円満辞退をすれば良いのである。
笑いはわだかまりを溶かす。

新喜劇がだめなら、ドリフコントも試してみられたら。