思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『やり過ごし』


講義中の講義を、全く聞いてない。
それで、そのことについてグループ実習をすると、何もわからないので、話し合いの中でなんとか自分が意見を言わなくていいよう、体をなるべく動かさず固まったり、呼吸を小さくしたりして、話を振られたらどうしようか、と不安になったりする。
いつだってやり過ごしは、ドキドキものである。マゾヒスティックな人間には少し嬉しい。
上司からのお叱りをただ黙ってうなだれてそれを指摘されないか、借金取りから逃れてポリバケツで身を縮めて見つからないかどうか、間男しているときその家の亭主が帰ってきて急いで隠れたベランダを開けられないか、その緊張感たるや、思わず脳のしびれにより目は上を向いて直立気をつけ状態になってしまう。

そして、この極限状態に陥る人間が二人以上いると、やはり恋に落ちてしまう可能性は高い。
いわゆる吊り橋効果の亜種だ。
上司に二人で怒られれば。
ポリバケツに二人で入れば。
間男したときに、そのうちの亭主の浮気相手もベランダにいれば。
そんな極限状態のドキドキは二人を、急速に接近させるのである。

しかし、やり過ごしの魔法は長くは続かない。
そのいつも怒鳴っている上司がパワハラで左遷されれば、また、ポリバケツに強烈なニオイを放つ生ゴミが入れいれば、そしてべランダの窓を目掛けてに夏のセミがたくさんぶつかって来たら。
一気に現実に引き戻され、こんな相手のどこが良かったのか、我を疑うのである。

やはり、やり過ごしのときは色恋沙汰などは考えずに、以下に無になるかが勝負だ。
それならば、以前にも書いたが、結局やり過ごしを学ぶには駅前でやってる『全身タイツの止まるパフォーマンス』を日々、鍛錬するしかないのである。