思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『そっくり』


そっくりさんに、与えられた使命は大きい。
古くはビトたけし、プリティ長嶋リトル清原ニッチロー、ジャッキーちゃんと、彼らは本物がいる中で、そっくりで居続けなくてはならない。
もし、道端で本人に間違われようものなら、「オレ、そっくりさんだから!」と肯定もできないし、否定できないのである。
とまあ、これは芸能関係の話で、オイラたち一般人とはまた違う話。しかし、一般人でも、ドッペルゲンガーのようにそっくり、ということも世の中には、存在するらしい。
そして、その自分と瓜二つのものと出会うということは死を意味する、という都市伝説も存在する。
我々は自分のそっくりさんと出会って死なないために、どのように気をつけなければならないのか。

まずは気をつけるならその辺に転がっているのモノに、である。
遠ざけなくてはならない、そっくりなものは世の中にいっぱいある。
似ているかどうかはその人個々の問題だが、くつべら、洗濯バサミ、コンセント差込口、木のシワなど、そこかしらで自分とそっくりなモノに合う可能性は多分にある。死にたくないのなら、それらとけっして正面から対峙してはいけない。たまに、マンホールのフタなんて自分とは似ても似つかない、と思っていても、自分とほぼ同じに見えるマンホールのフタもあるから、それも気をつけたい。

さらには、漢字やアルファベットが自分とクリソツな場合もある。
書道展なんかに行って、くずれながらも躍動感あふれる『蕾』という文字が、もしかするとあなたにのそっくりさんだったりして、それを目のあたりにしたら死ぬことだってあるかもしれない。

モノマネ番組は似てないものが多かったりするが、それは本当に二人が似ている場合、その有名人がテレビ越しに死ぬ危険があるからあえてそこそこしか似てないモノマネを見せて、本当に似ている人を出演させないのだろう。
しかし、本当に似ている人をモノマネ番組で出演させたとしたら、それは、ドッペルゲンガーを見せたとして、殺人罪になるのだろうか。いや、まだ日本の法律ではそこまでの整備はされていない。
このやり口は犯人のわかる完全犯罪なのである。
法の整備が待たれる。