思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『懇願』


うちにいる犬、ニコちゃんがカリカリご飯を食べてくれない、と昨日も書いた。
それに対してオイラは、なんとか食べてくれるよう、懇願している。
その当のニコちゃんは、オイラたちが食べているサラダのレタスをくれくれ、と立ち上がり手を合わせそれを振りながら懇願する。
家ではこのような懇願合戦がいつも繰り広げられている。
ちなみに、オイラたちがニコちゃんにカリカリご飯を食べてほしいのは、ひとえにニコちゃんがそのアレルギー用カリカリご飯を食べないと下痢をする体質だからなのであるが、ニコちゃんはその辺をわかっていない。
なので、オイラたちが一緒のレタスやキャベツを食べたいのだ。もしかしたら、たとえお腹を壊してでも、同じものを食べたいのかもしれない。
そうなると、懇願と懇願のぶつかり合いだ。
どうすれば、その懇願は成就するのか。

やはり『印を結ぶ』ことであろう。
我々日本に住むものとして、何か強い思いを現したい時は、自然と手の指を立てたり曲げたりしてポーズをとりがちだ。
それが、どこか人智の及ばないところに繋がってその願いが叶い、現世に表出するのだ。
つまり、今回の場合、オイラたちが「臨・兵・闘・者・皆・・・」などと印を結ぶことで、ニコちゃんはカリカリご飯を食べてくれて、下痢をしないでニコちゃん自身に楽しく過ごしてもらえる。
ニコちゃんの健康には印を結ぶことが答えの一つなのだ。

さて、それでは、ニコちゃんの、我々の同じものを食べたい、という懇願はどうなるのだろう。
それは、ニコちゃんにも印を結ぶことになるだろう。
ニコちゃんはいつも我々と一緒。食べるのも一緒、印を結ぶときも一緒。
印を結びあえば、その相乗効果で、なにかしらの不思議な力が働き、オイラたちもカリカリが主食になり、みんな一緒のご飯を食べる日がくるかのしれないのである。