思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『付き合い』


「付き合いを断れない男よ、大志をいだけ」とはよく言ったものである。
仕事後に特に何も決まっていない人間が誘われたところで、特になにもないのだから、なしくずし的に飲みに連れて行かれ、ずるずると日をまたぐまで愚痴を聞き、最後の「課長の体臭が新築一軒家と線香の混じり合った匂いだ」という悪口まで聞き終わって開放されるのである。
中年は、大志をいだかないとこうした非生産的な飲み会に皆勤賞で出席することになり、なあなあに人生が終わっていくのだ。
本当は大志など抱かずとも誘われなくなるように、就業後に着るステルス迷彩の衣服などがあれば良いのだが、それを着たところで誘ってくる係長が太極拳を毎日やっている場合は気の流れから大体の位置を把握し、「どうだ?今日も1杯?」をその当たりに二、三個蒔いてくる。『氣』までステルスになれないのなら、きっと、あなたはその係長の呼びかけに応えてしまうことだろう。
そこで、大志、だ。大志があれば、そこに向かって一直線で、たとえ係長がセンサーを発動しホーミング的に絡めとるような誘いの言葉を投げかけても、「いや、僕、大志があるんで」と、その先誰も邪魔立て出来ないような流れを作ることが出来るのだ。
さて、では、具体的にどんな大志が良いのか。
手始めに、ディアゴスティーニなんかいかがだろうか。
何を隠そう、オイラ自身が大志などいだけない側の人間なのである。
なので、世界の貧困をなくしたい、だとか、音楽の力でみんなの心を一つにしたい、とか、NHKをぶっ壊したいだとか、そういった偉大なる目標は掲げられないのだ。
そんな凡人に与えられた、達成すべき事案として、一つ提案されるのが、ディアゴスティーニである。
ジャンルの幅も広く、アニメ、ホビー、歴史、とさまざまだ。
そして、これが難しく、大志的な内容となるのだが、それらを最後まで集めきれるかが大切なところだ。
ディアゴスティーニのシリーズは、1号につきひとつパーツが入ってたりするものもあり、それらを毎月買って、つなげていくことで、数ヶ月後にそれは完成する。しかし、始めるときは1号290円くらいの価格が、次号から急に2000円くらいまで跳ね上がる。
それを数十ヶ月。価格は合計数万円まで膨れ上がる。
果たして、あなたにその根気と財力をかける事ができるだろうか。

さらに、係長からの誘いを断る時に「今日は、ディアゴスティーニの発売日なんで!」という大志を見せたとしても、それは1日だけのことだ。毎日の誘いを断るには、それだけのディアゴスティーニの別シリーズが必要となる。
そんな複数個の大志を抱き切ることができる人が、係長からの誘いを断ることができるのだ。

付き合いというのは、悪いことばかりではないし、誘われるがままにゴルフなど付き合っていけば、そこから大志が生まれることもあるかもしれない。
案外、係長がやっている太極拳から気の扱い方を学んで、その係長を逆に気の力を使ってなんとか愚痴や飲み会などなどをしたい『氣』を無くせれば、飲み会や遊びの付き合いが激減するのかもしれない。
人をいい方向に導く大志、抱けるとを願っている。