思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『亀』

 

世の中は競争社会ゆえに、それは強制的にやってくる。
うちのワンちゃんの散歩で相方も含めみんなで公園に向かっている時の話。
公園にたどり着く少し手前の道で、同じく公園にゆっくりと向かうおじいさんがいた。
それを横目に、うちの犬は、若干小走りに似た歩き方で追い抜いていく。
しかし、途中で春の花に気を取られ、相方が写真を撮りたいと、その花の前で写真を撮ったりして。写真が気に入らないのか、何度か撮り直して、ようやく終わったと思っていまた道に戻ると、おじいさんはかなり前に進んでいて。
いや、別に競争しているわけじゃないんだけどな、とは思いつつ、オイラたちは駆け足でそのおじいさんを抜いたのだが、また相方が良い花見つけたと写真を撮ったりして、写真を撮ってる間には、心が「じいさんがまた先に行ってしまうから早く撮り終わってくれ」となっていたのである。

こんなセカセカした気持ちになるのなら、それは精神衛生上よろしくない。
今のこそ、人は亀に教えを請うべきである。
亀はなぜ、ゆっくりなのか、おそらく進化の過程で早く動く亀もいたはずだ。
また、なぜ、栄養が満点のスッポンという種別がてきたのか、なぜ甲羅で占いができるのかも、本当のところを知りたい。
そのうちに、きっと亀と意思疎通できる翻訳機みたいなものができる未来が来るだろう。
しかし、亀たちは意思疎通の言葉に値するものすら、ゆっく〜り発せられるのかもしれない。
なので一度、今生きている亀の中のせっかちなやつに話をまとめてもらって意思疎通を試みるのが現実的なのだろう。
ただ、長生きの秘訣がそのゆっくりしたやり取りなのだとしたら、『せっかち亀』は、一時の日本の総理がごとく、短命で入れ替わっていくのかもしれない。
オイラたちもせっかちなやつは喉に餅を名詰まらせるなどして早く死ぬ可能性は高いということだろう。
さっそく、亀のお陰で戦場カメラマンの渡辺氏が戦場で長生きできた理由や太極拳が健康に良い理由がわかったが、点滅しかけの信号には小走りになるし、半額の弁当に出る手は早い。
亀の教えを会得するには、万年かかるということか。
なら、鶴10羽に教えを請おうとするせっかちなオイラは、亀の生き方の神髄に触れることなど一生のうちでは100分の一もできないのかもしれない。