思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『後ろめたい』


なにかの後遺症で、うしろめたさを感じづらくなる、という奇跡は起きないものだろうか。
例えば、残業をしている人を横目に先に職場を出るとき、変なプレッシャーがかかることがある人がいる。
別に悪いことをしているわけではないのだが、先に帰ろうとすると「この仕事以上に大切なことが何かあるのか?」と、勝手に残っている人の心の内を想像し、強くなった椅子の重力からなんとか立ち上がって出口に向かう途中も、後ろ髪に重りがついたような、離れにくい気持ちになるのである。

そして、その先に帰る理由として、新作のゲームをやりたい、とか、早くハムスターに餌をやりたいとか、個人的なことで悪くないことでさえ、うしろめたさは発生し、ゲーム中も係長のあの刺すような目を思い出し、家に帰りハムスターが回し車をくるくる回しているのを見ても、課長の瓶底めがねから来る冷たい眼差しが甦るのである。
では、どんな理由だとうしろめたさを感じにくいのか。

それは、どうしたって、サンバである。
陽気な南米の、底抜けに明るくなれるダンス。コスチュームにも着替えると変身した気がしてより気持ちを切り替えられる。
嫌なことを忘れて、小刻みに腰を動かす。
その小刻みに動かすことに集中している間に、うしろめたさは細かく裁断され霧散していくのである。

和尚さんの水あめをなめたって、妻がいないときに家でタバコ吸ったって、小刻みに腰をふる。
それで、全ては霧散し、解決である。