思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『祭り』


自分探しをしている人間がそこに何かあるのではないか、と一度は立ち寄ってみるもの、それがお祭りである。
しかし、自分探しをしているほうとしては、しっくりこないお祭りのときにはいくら周りが楽しそうにしても、全く心は盛り上がらないのである。

オイラも人並み程度にいろいろなお祭りに足を運んだが、ちょっと目を引いたのは地域でやってる祭りのカラオケ大会もので、あとはただただ人がりんご飴食べてたり、型抜きで失敗している様を、ネジの切れたからくり人形のように見つめて心の中ではすでに来週のお祭りのことを考えている、ということが多かった。
世間では命がけで祭りを楽しんでいる人もいるのに、お祭りにハマれないのである。

何かが足りない。
何が足りないのか。
それは『吊り橋効果』である。

みこしのてっぺんに異性と二人で乗せられ、男衆がわっしょいと担ぐとその揺れに振り落とされ落ちて死ぬかもしれない、そんなドキドキが二人に湧くことだろう。
その気持ちが町内一周する間に二人を結びつけるのである。
やはり、死に近づくことになれば、オイラも冷静ではいられない。加えて、ロマンスもあれば、祭りは有意義なものとし書き換えられ、ハッピとはちまきを常に枕元に置くことのできる人生になるのだ。
ただし、吊り橋効果なので、効力は長くは続かない。てっぺんにいるうちに全てを終わらせることが勝負になるのである。

思い出したが、一つ印象的な祭りがあった。男性器をみこしに掲げる川崎大師の、『かなまら祭り』である。
やはり、性のちからは、すごい。