思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『歯ブラシ』


歯ブラシは、歯だけに留まらない、優秀なブラシである。
浴場の排水溝、落ちづらい洋服のシミ、禿げかかったおじいちゃんの額への刺激など、枚挙にいとまがない。
歯ブラシは、その毛先だけで数百種類はあろうかというほど研究し尽くされてきたジャンルだ。細さ、硬さ、長さや間隔と、自分に合った歯ブラシに出会うのには、何気なくハサミで切ってしまったくつ下とタグを結ぶキノコ型プラスチックの片方が飛んでいったのを見つけるより骨が折れる。
そんな理想の歯ブラシとの良い出会い方とはどんなものだろうか。

答えは、歯医者に行ったあとのアフター歯磨きで、慰めてくれるような歯ブラシ、である。
歯医者は、想像を絶する痛みを毎度のように残してくる。
歯を治すためには仕方ないのかもしれないが、退院後に少し涙することもある。
そんな元気のないときに、アフター歯磨きをしたとき、歯ブラシがどういった言葉を語りかけてくるか、だ。
毛先の柔らかい歯ブラシは、「大変だったね。さあ、私のひざでお眠り」といった優しいアプローチをしてくれるだろうし、固く短い歯ブラシは「まあ、痛みは仕方ない!次だ!次!」と発破をかけてくれることだろう。
普段のときはみんな優秀な歯ブラシたちだが、自分が弱っている時、このタイミングでどういう付き合い方ができるかが、「この歯ブラシと、一生付き合っていこう!」となるかの、重要なポイントなのだ。

最近は歯ブラシを使わないで水で歯垢を落とすシャワーなんていうのも世の中に出回っている。
多様性が広まる昨今だが、新しいものばかりを追い求めず、歯ブラシとともに歩んできた過去を胸に、これからも歯医者のあとは歯ブラシに頭を撫でなられながら痛みを乗り切って、歯ブラシと手を取り合って共に生きていきたい。