思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『おおらか』


おおらかな人は、本人が意図せずしてオーラがある。
その人のおおらかな部分がオーラ化してるのだ。
オーラ化しているおおらかな人は、意外とそこかしこにいる。
良く町中を歩く芸能人に対して、「実物はテレビで見るより小さかった」という声を聞くことがあるだろう。
それもそのはず、オーラ化することで、体積が2割増くらいにみえるのである。
少し余裕があるように見える俳優も、一歩カメラから離れたところでスーパーなどで出会うと『作った人の顔の見えるブランド野菜』より価格で選ぶという庶民的なところが垣間見えるものだ。
みんな、芸能人という夢を壊さないようにおおらかさを演じているのだ。
そして、一般人の世界でもおおらかな人の体積は大きく見えがちだ。

何事にも動じなく喋るのが少しゆっくりで力持ちで笑顔、一人称は「おいどん」を使っており、山は「男体山」動物だと「ゾウ」を連想させる男性でも、身長を測ってみると意外と日本人の平均身長くらいだったりするものだ。
全ては、オーラ化の影響である。

そんな「おいどん」も、オーラ化が解かれることは、多々ある。

一例を上げるとするならば、『新築分譲マンションで買えたのが下層階だったとき』である。

40階建ての高層マンションで、上層階に住んでいる、いつでもパーティがあるのかドレスを毎日来て羽付き扇子であおいでいる上流階級の人たちから下層階にゴミを撒き散らされたり、広場に敷いたレジャーシートをヒールで踏まれたり、上層階婦人が飼っているドーベルマンを囃し立てて『おいどん』を追立てさせようとしたり。
そして、何よりきついのが子どもだ。上層階の子が「おいどん」の子に『エンガチョ』の連発をするのだ。そうなると、子供はどんどん塞ぎ込んでいってしまう。
おいどんは何をされても良い。ただ、子どもが可愛そうである。
その悲しい気持ちがおおらかさを失わせ、みるみる『おいどん』は身体を小さくし、縮こまってやり過ごそうとすることだろう。

あれだけおおらかだった人が、久しぶりに会うと、うらぶれて狂犬のようになっていることもある。
しかし、『おおらかのオーラ化』の技術を持っている人々がそのままで終わることはない。
オーラ化を応用して、『おいどん』はおおらかさとは真逆の『オーガ化』をして、その姿を見るだけで人々を恐怖に陥れる姿となっていく。
そして、子供を亡くした『おいどん』の婦人達への逆襲が始まり、分譲マンション上層階と下層階の、仁義なき戦いが切って落とされるのだ。