思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『キャパオーバー』


脳の容量が足りない。
この頃料理をしていて「冷蔵庫を空けに行く」ということを覚えても、その先の『何をしたいのか』を頭の中でローディングさせないといけない状態になっている。
頭のワーキングメモリでなくとも、何かと許容量が少ない人も多いのだろうか。
例えば、『怒り』。仕事をしているとそれはもう、たくさんその顔をのぞかせるもの。
ミスをしたときに最初の段階で笑顔の瞳の奥に怒りを宿していて、3回目にはそのキャパをオーバーして言葉汚く罵ってきたりする人や、麻雀の翻数を数える要領で「この職でイラッとしたこと腹の立つことが六翻までいったら仕事やめよう」というプッツン系の人間もいることだろう。
容量を増やすために、物理的に飯を食いまくってみたりして、体積が増えたところで結局は車の中の助手席でトイレに寄ってもらえない状況が続いたりしたら、やはり早々にキレてしまうことだろう。
そういったことを無くし、なんとか懐の深さを大きくすることはできないだろうか。

そうなると、やはり頭部へのアプローチはいかがだろうか。
外付けで記憶力や怒りの需要の容量を増やすのである。
まったくなにを外付け接続していいのかわからない場合は、まずは『タコ』をお試しあれ。
人間の頭の上にタコを載せて、タコと接続し容量を増やすことを試みるのである。
「なにをしようとしたんだっけ?」という記憶忘れに対して、タコの足を通じてタコ脳ににアクセス。タコと自分が同じものを見ているなら、「あ、醤油をとるんだった!」となるし、怒りを許容するなら、腹立つことをタコに解消してもらおう。
またまたタコ足を通じて自分の脳からタコにアクセスしたときに、その怒りが本体のキャパオーバーしているとき、タコがスミを外にぶちまけてくれる。
それがたまたま怒りの対象の相手だったとしても「タコがやったことですから」で、乗り切れることだろう。
これなら、タコに多少頭皮をガジガジされても、それを補って余りあるほど生活の質が向上する。
それで良いのではないか。

タコという生物は、海外では恐れられ、宇宙人のモチーフにも使われるくらい、畏怖される存在だ。
タコを被ったのなら、キャパシティが増え「音量上げろタコ!聞こえねえんだよ!」のタコという言葉に敬意を感じ取れるほどの余裕ができることだろう。
先の例で聞こえないのは、その人のキャパがマックスになっていて、タコを被っている際、足が耳に覆いかぶさっているのを忘れてしまっているからかもしれない。