思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『コントロール』


もし感情をコントロールできるなら、いつだって、玉ねぎを切らずに泣いて、ストレスを流し落としたい。
そもそも、感情をコントロールできるなら過剰なストレスなど溜め込むこともないはずだが。
それはそうとして、約40年生きてきて泣き叫ぶことなど今までなかったので、小指をタンスにぶつけたときなどに思いっきり泣き叫んでみたいものである。
これをお仕事にしているのが、役者だ。
役者は、「はい!泣いて!」といえば涙が頬を伝うし、「はい、喜んで!」といえば、「はい!喜んで!」と飛び切りの笑顔を見せ、ビールやつまみを差し出外する動きに入るし、「はい!悪魔乗り移らせて!」といえば、「グァハハハ!何が夏休みだ!お前を今すぐ夏休み最後の日にしてやろうか!」と手のひらサイズの蝋人形と会話しだすのである。
感情をコントロールできるなら、役者の人生を歩まずとも、人生を楽しく生きていけることだろう。

しかし、大抵の人はそうは行かない。
顔で笑って心で泣いて、怒らなくちゃいけないところで愛想笑いをする。もっと言えば、おじいちゃんが死んで泣きたいくらい悲しいのに、葬式で坊さんの頭にちょうちょが乗ったらば、笑いが込み上げてきてしまったりもする。
こうやって感情をコントロールすることができないならば、何か次善策はあるのだろうか。

ボディランゲージでの表出は、ありではないだろうか。
気持ちを口に出せないというなら、身体で表現するに限る。
葬式で泣きたいときは思い切ってTTマークを指で作って、となりにいる妹とかに見せつけよう。
学校でからかわれて怒り返せないなら、指を鬼の角のように頭から突き出すようにし、怒りを表現しよう。
そうしているうちに、ドキドキしたいときには手でハートマークを作って胸のあたりで近づけたり離したりするだけで、ドキドキが止まらなくなってきたり、両指を組んで目を輝かせ口元を緩ませるだけでたとえカマドウマのような虫でも可愛くなってくる。カワイイと思うランゲージは作れるのだ。

多様な感情のコントロールをしていると流石に疲れることもあるだろう。
そんなときは、手を内側に波のように動かしてカニのように横歩きをしてアホになって、脳を休めよう。
もし誰かに「アイツ、アホや」と言われたときには、本家のアホの人よろしく、頭に鬼を模した指の表現を忘れずにしたいものである。