思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『黄色』


黄色には、人を陽気にさせる、何かがある。
そうは言うが、黄色い練り切りを食べてもそんなにテンションがあがらないのは、なぜだろうか。
和のものから発せられるのは侘び寂びの考え方がその陽気さを落ち着いたモノにしているとでも言うのだろうか。個人的には練り切りがもっと爆発的に売れるのを願っている。オイラは年1しか食べないけれども。

他にも、幸せの黄色いハンカチ、くまのプーさん、黄レンジャーと、黄色いには明るい要素が事欠かない。
しかし、そこには幼さ、落ち着かなさもはらんでいたりする。
注意をうながす『黄色信号』『イエローカード』という言葉も、そっちの意味合いだ。
「ピーッ!その今にも自分の下半身を出さんばかりの雰囲気の醸し出し、イエローカード!」「あなたのコレステロール値、黄色信号です。いくら豚の脂身が好きだからって、ガム噛む代わりに日中から食べてたら、そりゃ上がりますよ!」
そんな時、陽気に振る舞うことはできまい。
注意で沈んだこの気持ち、どうしてくれようか。

そんな時は、オナラを一発ぶっこいて、その場をリセットする。
めちゃくちゃ目がいい人、あるいは想像力がたくましい人に取っては、オナラは黄色く見える。
その黄色の陽性と、大人が屁をこいてしまったとあとの、「言わないでいてあげる優しさ」があり、注意を仕掛けてきた相手が一区切りしたくなるのを誘導する。
そして、オナラをこいてしまったほうも、その恥ずかしさで思わず目を見開いて口も開き頭を手で搔きながらの『ごまかし陽気』が身体の内から出てきて、その場はお開き、となるのだ。

「陽気になりたきゃ黄色いTシャツを着ろ」なんていうことで、相方の分とともにディスカウントストアで300円で買ったことがある。
たまにオイラはそのTシャツを着ているのだが、相方は一切着なくなった。
そんな我が家の今は、別にわりと相方は明るく過ごしており、Tシャツを着続けているオイラだけが幼稚で落ち着かなく、人から注意を受けているのである。