思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『網』


金魚を救うもの、それが網である。
もし夜の出店で掬われずにいたなら、十把一絡げで誰からも愛されない者同士でまた暗い水の中で震えて眠るしかない。
なので、お祭りで金魚は、いかに掬われるかにかかってている。
それをわかっている金魚は、網にそっと乗って動かないようにしたり、縁の方に尾やヒレをひっかけようとしたりするだろう。
彼らが夢見るのは、縁日の最中に業者が水槽から目を離した隙に、洗濯槽のカスを掬い取る破れない網や、バーベキューで使う網で自分たちを救ってくれることのはずだ。
しかし、そんなふうに掬われたとして、後の一生は、またどこかの家庭の金魚鉢の中。
彼らが感じる救われた感は、少し寂しいものなのかもしれない。
もっと金魚たちが救われるにはどうしたら良いのか。

答えは、『世界総ポンプ人間化』にある。
人類が全てポンプ人間であれば、金魚は、その人間に舌までお腹から出してもらってそこに横たわり、世界を見れる。
もちろん、親の死に目にも会える。
好きなあの子に、会える。
食道を通って胃と世界を行ったり来たり。君は自由だ。

ただ、そうした他力本願歯いつまでも続けては金魚達のためにはならない。
金魚達の最終的は自立であり、『金魚注意報」のギョピちゃんみたいに、浮くようにならなければならない。
浮けば、どこでも行けるし、何にでもなれる。
まずはその補助輪として、今は人間ポンプを利用して見たこともない景色を存分に楽しめばよいだけのことなのである。