思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

臍を曲げる。→我を通す。

臍を曲げる。

 

オイラ、小さい時はすぐヘソを曲げるような子だったそうですわ。

 

とにかくやりたがらないんですって。

 

プールとかもたった5日のレッスンを4日でやめましたもんね。

たしか4日目でオイラの1学年下の子がオイラより全然上手く泳げるようになったのが嫌だったんじゃなかったかな。

 

へそ曲げてね。

 

他にも、おばあちゃんちに遊びに行くって時にも、兄弟は普通にしているのに、何故だかオイラだけ行きたくないと駄々こねたり。

別におばあちゃんは好きでしたよ。

なんでしょう、気分的なもんですかね、あまのじゃく。

 

で行ったら行ったらで別に同じく遊びに来ていたいとことも遊ぶし。

 

今もこういう傾向は今も残ってるとは思いますけど、表情にはなるべく出さなくなったかな。

 

表に出さないで、フェードアウト。

これが大人になってからは多くなった。

 

そりゃ、オイラが気分良いようにしてくれ、なんて公の場で言ったらば、反感買うでしょう。

 

そう、オイラが何も言わなくても察して周りが良くなってくれることを望んでいた、いわゆる、

 

「地球はオイラのために回ってる」的考え方。

 

アホですよね〜。

 

 

カルト宗教の「私はみんなのために各家々を回ってるのよ」

 

に通づる間違い方。

 

 

逆に臍を曲げられたこともあります。

 

一緒に知り合いとラーメンを食べていたんですが、その人がラーメンのスープを全て飲み干そうとしていたんです。

 

その人は、もう40代に差し掛かり、身体も肉がかなりついてきていて、ついつい言ってしまったんですよね。

 

「スープは飲み干さない方がいいと思うよ。」

 

って言ったら、

 

「なんなんだよ、俺の勝手だろ!」

 

なんて言われて。

 

スープも飲み干されてしまって。

 

 

心は「NOOOOO!なんで、怒られるんの!?」って感じでしたよ。

体を悪くしないようにと思いやりだったんですけどね。

 

しばらく彼は臍を曲げてましたが、彼の家に行って

一緒にからあげクン食べたらさっさか仲直りできました。

 

 

p.s.臍を曲げるのは妥協してないからだね。

人に合わせないで、我が道を行くんだねえ。