思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

煮ても焼いても食えぬ→→我が道を行く。

憧れますよね。
金属でできた仏像のような何事にも影響されなく、私は私、と言った感じ。

別に人に好かれなくても良い、自分は自分、という感じがしてね。

オイラの周りからしたら、オイラのことを『煮ても焼いても食えぬ』と思われたりしたことがあるかもしれないですわ。

小さい時に家族みんなでおばあちゃんち行く、って話になった時も、なぜか行きたがらない。
駄々こねたりして。
別におばあちゃんに会いたくないわけではないんですよ。
じゃあ、なんなんだって話で。
ファミコンのなんかアルマジロが冒険するやつちょうどクリアできそうだったからとかかな。

まあ、何を言ってもオイラのいうことは変わらなかったのでうちの親にしたら煮ても焼いても食えない子どもだったんじゃないでしょうかね。

そういうことが、今のオイラの家でもあります。
うちのワンコが、まあ、どうにもならない。
噛むな、って言ってるのに指を噛んでくるし、歯を磨かせてみろ、って歯ブラシを口に入れようとしても絶対に入れさせてくれない。
そのくせすぐ膝の上に乗ってくるし、オヤツをあげようとして台所で作業が終わり振り返るとワンコはそこにいるんですよね。
まだ一歳、されど人間に換算すると女子高生くらいになるそうですが。

つまり、世話をする対象の行動には煮ても焼いても食えなさがつきまとうんでしょうね。
それは、こっちが最終的に折れるしかないことを悟ってるからかもしれない。

ならば、必然的にこちらも仏像のように瞑想をしながら相手との折れあい勝負に入るしかないでしょう。

金属製の仏像のような動じなさと、心を落ち着ける瞑想して相手をいなそうとする行動。

今年の冬は電気屋のおもちゃ売り場で、神秘的なオーラを見かけることができるかもしれないっすね。


p.s.煮ても焼いても食えぬ、ってのは自分を押し通す力強さを備えてる、っていうこと。
我が道を行くことに、その我が道の答えがあり、それはそれでそれがなんなのか楽しみではありますね。