思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

言うは易く行うは難し。→→精神的サウナ。

「君のために死ねる。」

 

これ、実行できますかね?

 

どういうとき?

 

相手がお金に困ってて。自分に保険金かけて、そのあとかな?

 

それとも相手が車に轢かれそうになった時、あいだに入って?

そしたら少しでも衝突の緩衝材としての役割を果たせるか。

 

もしくは、相手のために36協定をなんなく突破するくらいの働きぶりで、過労で?

 

 

 

言うは易く行うは難し。

 

 

 

オイラは昔から口だけのところはありましたね。

一応、何をやるべきか、というのは頭の中で考え抜いて。

世間が納得するようなそれっぽい答えを口にしたりしていましたからね。

 

「とにかく毎日の積み重ねが大事だ。」

 

「人のためになることをしよう。」

 

「自分が好きなことを見つけよう。」

 

 

全部長続きせず、ですよね。

 

 

最近はもう、なんの目標も達成する可能性が高くないことはわかっているので、無言実行。

何かをやってやるぞ的なことは口に出すことが憚られるようになりましたね。

何百回と目標を決めて行動しても、達成したことはほとんどないからね。

ただ、将棋で言えば、王将以外のほとんどの駒を取られたところでも参りましたが言えないのが人生。

水面に入ってしまったアリのように足掻くしかない。

 

ホント、頑張れる人はすごいと思いますわ。

 

わかりやすいのがスポーツ選手。

すごいっすよね、肉体を極限まで高めて、記録を追い求めて。

どれだけ生活を調整して生きてんだってくらい。

 

なんすかね、環境とか持って生まれたものですかねえ。

 

こういう人たちはなんでも努力してある程度のことをおさめられる感じ。

大工でも、営業でも、うまく行くイメージだなあ。

 

そういう忍耐力などなどを持っていない人たちの、さらにそれが極端なのがオイラ。

根本的に「楽」を求めてるのかもしれない、と思う今日この頃。

 

ということで、オイラが目指すものはアスリート的な結果を出す「頑張る」から外れて、どれだけ生活を豊かにできるか。金銭面だけじゃないですよ。

そのために「楽」ばかり追い求めていないで「楽しい」気持ちを生み出すような心がけで、小さいところから習慣を続けていこうと思っております。

 

たとえば、ご飯を持つ腕、口に運ぶ箸に何か面白みがないか、とか。

 

これがまた、簡単ではないんだわ〜。

何か頭の中で違う角度から見たり足したり引いたりして、そこの気づきを見つけようとするの。

 

「楽しい」を生み出すには、意識的に物事の見方を変えてできるだけポジティブにしていくという作業をすることになり。

気を抜いたら、マイナス面の物事にケチつけたくなるような荒んだ心の方向に吸い寄せられていくからね。

 

 

まあ、それでも足掻かせてもらいますか。

生きるだけ生きなくてはならないんだし。

 

 

p.s.言うは易く行うは難し、というのは、できたときのカタルシス解放のためのことばですね。

いわゆるマゾ的な考え方の変化系で、耐えた後に得難い何かが待っているんだよね、きっと。

長期間の精神的サウナみたいなことだね。