思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

ならぬ堪忍するが堪忍。→→その我慢強さに、感服する。

オイラにとっては、いや多くの人にとって『地味だけどできたら良いランキング』の上位に入る言葉ではないでしょうか。

 

 

堪忍=我慢というところであり、我慢って「した方がいい」ことなんだけど、これがなかなかのきつい勾配の山のようで。できた記憶を思い出す方が圧倒的に早い。

 

あ、高校かな。やめたかったね〜。

よくある「勉強して何の意味があるの病」におちいっていたし、そんなだから深夜ラジオ聴いて学校行って『いかに寝て単位を落とさないか』を考えるための学校だったし、おっくうだった。

 

まあ、学校の捉え方って人によって千差万別で通ってて良かった人もいるけど、オイラにとってはそうではなくて、今考えたら大検(今はこういう言い方しないか)とかでも良かったなあ、と思う。

 

そしてならぬ堪忍するが堪忍で高校を卒業したものの、良かったことはそのあと別に大学に行かなくて良かったことかなあ。

 

大検だったら大学に行かないといけない雰囲気あるじゃない。

 

大学こそ、特に行く目的がなく当時勉強をしたくなかったオイラにとっては何の意味もないように感じられてたからね。

まあ、生まれ変わったらキャンパスライフでアハハウフフしてみたいけど。

生まれ持った性格もあるから総とっかえで、若い時から大学通学の申し子みたいな、大学に行くと周りの災いがピタリと止むような、その四年間のアハハハウフフで先の社会人生活をかなぐり捨てて命の炎を燃やし尽くすような、そんなふうに生まれたい。

 

いや、言いすぎました。

社会人生活はかなぐり捨てたくはないです。

そんなことしたら、今より堪忍する時間が長くなっちゃう。

 

ただ、結局のところ単にやはりこの言葉の通りできるなら、本当に、我慢強い人。

 

言った通り、オイラは堪忍できたことは少なく、それができた勲章は、「高校を卒業したこと」と、たまに朝の満員電車で出会う、「次の駅までウ○コを我慢すること」です。なんだったら、そのあとトイレに走ってもトイレ前でも足踏みしながら我慢することです。

 

これくらいです。

 

 

 

※ならぬ堪忍するが堪忍を使うシチュエーション

 

・ならぬ堪忍するが堪忍ののち、無味乾燥。

 

一生懸命耐えに耐えても、何にもない。

何にも見えないよ。

あ、耐えすぎて不感症になっちゃったのか。

あ、そっか〜。

 

 

・ならぬ堪忍するが堪忍を見て、ジーンとする。

 

すごい、すごいよお前!あれだけの苦痛をもう、妹のため?

妹がお嫁に行けなくなるってだけでそこまで耐えれるなんて、もう、俺、ジーンときちゃったよ!

 

 

・ならぬ堪忍するが堪忍、ついについたあだ名は仙人。

 

ずっとやってた。堪忍を。

ずっとやってたら、もう何されても怒らなくなったね。

今?霞食べてる。我慢ばっかりしてたら味気あるもん食べらんなくなっちゃったのさ。