思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

六十の手習。→→遅すぎるものなどない。

六十の手習と聞いて真っ先に思い浮かぶのは、『片岡鶴太郎』さんですよね。


あの人、もともと多趣味だったけど、新たにヨガやり出して。
お腹と背中がかつてない見たことないほどくっつきそうになってますもんね。
お腹と背中、洗濯バサミではさめそう。


やはり芸能人のもつ頑張りの異常性は凄いですね。
もう60代なのに、形にするよなあ。


ちなみに、うちの父母も60代。
母は60代に入ってから自己流で貼り絵を始めたけど、父は麻雀、パチンコ、競馬の人で仕事を辞めても新しいことは始めない模様。
どちらも、人に習いに行く、ということはしなさそうだけど。


オイラの場合は、すでに習い事が続かないことがわかっているので、やはり60歳を過ぎても習い事はやらないんだと思う。
さて、習い事をやらないなら何をするか。

 

四六時中人に推したいのが、健康のためにも『筋トレ』だと思う。

筋トレさえしておけば、身体も丈夫になるし、それ以外が無趣味でも健康を元に人とコミュニケーションをしやすい。

 

歳をとった時、みんなが健康食品の話をしている中、筋トレとバランスの良い食事が一番だ、というスタンスで輪の中に入れると予測する。

 

将来においてお金のない可能性があるオイラ。

歳をとった時お金で買う健康食品より、自分の体力を元にその会話の輪に参加したい。

 

 

つまり、独学でやっているものを筋トレにおいて、今のうちからもっと知識を得た方が良いってことだよね。

四十で筋トレの手習、を始めるということか。

 

ただ、その筋肉について事細かに教えてもらうには誰に聞けば良いのか、という問題。

レベルの高い人にパーソナルトレーニングを頼むと、相当な料金がかかるでしょうね。

 

お金のかからない教えたがり。

オイラの選択肢は、公園のうんてい周りの様子を毎日うかがい、『教えたがりおじさん』を待つしかないのだろうか。

そんな推しの強い教え方をされるなら、オイラはリングフィットでずっと褒められていたい。

 

p.s.六十の手習、っていうのは、いつだって挑戦できるってこと。

明日から始めようとすることは、今日から始めよう。