思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『風』

 
となりの家から今晩のおかずの匂いが風にのってやってくる。それを相方と当てっこするのが、なんでもない日常の一風景となっている。
今のところ二人でそのやり取りを楽しんでいるが、そのうち今日の隣の家は餃子だ、いやチャーハンだとつかみ合いの喧嘩にならないことを願いながら、こちらのお手製ドブラジーニャの匂いも風に乗せ隣の家に当てっこクイズを促したいところである。
 
そんな隣同士で「隣の家にうちの夕飯を当てさせてたまるか」とエスカレートして馴染みのない料理を食べまくるより、風を利用してやりたいことがある。
 
それは、「散骨」だ。
これが、凧揚げより、風力発電より、有意義な風の使い方である。
今、全世界で人口が爆発している中で、人としての最終地点であるお墓はどうするんだ、という問題が爆発している。特に宗教を持たなくなっている日本人はどこの土に埋まればよいのか、と考えてる頃にはもう棺桶に両足を突っ込んで、ふたが閉まる直前ほどの頃だろう。
例えば、北海道で生まれて東京で死亡したとき、北海道に先祖の墓があったとしても、家族があまりゆかりのない北海道に墓参りのためだけに行くのもしんどいし、東京は縁がなかったりする。
ならば、やはり散骨するのが一番。
人の骨を海に巻き、どこの海からでも故人を偲べる。スイカ割りをしたあと、手ぬぐいを取って割れたスイカで笑顔になりながら、ふと目を移した海の空には、口うるさかった父親が映画さながら西の海の空で大きく映し出されるのである。
 
晴れて風の強い日は、散骨日和。
風の方向をきちんと理解してないと、巻いた骨が自分の口にすべて入り、自分自身が親の墓、みたいになりかねない。
みなさん。風を知ろう、仲良くなろう。