思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『休み』

・休み

『休み』という、誰からも扱き使われない、ということは、この世の至上の幸福である。
しかし、当然、それは主に体を横にすることであり、普段しているコピー用紙でびっしりのダンボールを運んだり、地下鉄乗り継いでの得意先周りをしないということで、身体は鈍るし、軋む。
肉体的に「動ける」ということは、この人生100年時代、盆栽の剪定のように毎日意識的にみていかなくてはならないことである。

しかし、この横になりたい欲望というのは簡単に押さえつけられるのだろうか。
いや、一般人のオイラにはそんなことは無理だ。
なので、まずは俗物とはかけ離れたお釈迦様の、『涅槃像』になりきる気持ちからスタートさせよう。同じ腕をおり頬で支えるポーズを取っていても、「オイラは涅槃像・・・」と思う気持ちが、何かしらの仏パワーにより、すでに横になっているところから『明日の横になりたい欲望』を抑えることにつながるのではないだろうか。
一度お試しいただきたい。

あるいは、みんなが横になっていたいのなら、人間の知恵によって動かなくて良い世の中になっていくのだろう。
休日だったら、寝ながらパチンコもできるような装置ができ、もう本当に睡眠をとりながらマックとケンタも食べられ、さらには映画見て、起きたら体力は回復しており、さらにはその映画を見たということと、映画のなかの主人公の見た夢がすっきり別けられて記憶されてたりして、もうとにかく超便利になっていくのだろう。

休みの日は、日々の仕事の疲れを癒やしながらも、ボーっとしてたらすぐに仕事がやってくるので一分一秒とて無駄にしたくない。
そんな不安が募る生き方をしていると、死後に救いを求めたくなり、いつのまにか寝ても覚めても休まずニルヴァーナの曲をイヤホンから流すようになっているのである。