思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『あだ名』

 

学生時代に『チャンプ』というあだ名で呼ばれたことがある。いったいなんのチャンプだったのかはわからない。よくあることだ。
そもそも、あだ名というのはつけられて親しみをおぼえるのは2、3割ほどで、あとの7、8割は顔で笑って心で泣いて、となり、傷つくことが多くの割合を占めるのだ。「楊貴妃」、『モランボン(鍋のスープの会社)」「宅地検定」などはまだいいが、「インキンタムシ」「馬糞」なんてあだ名は、なんてあだ名はつけられて気分の良いものでもないだろう。
例えば、「メカゴリラ」というあだ名があったとして、メカの部分がかろうじてポジティブ要素があったとしても、ゴリラのネガイメージで、大抵の人が言われたくない、嫌なあだ名となってしまう。非常に繊細だ。
それこそ、あだ名をつけることやつは、マウンティングを取ってることでもある。そんな中オイラはあだ名で幸せをとどけたい。その時、オイラたちに何ができるだろうか。
一つの案として、悪口になりそうなものは、そこから食べ物になるようにあだ名の修正を試みる、ということである。
先ほどの「馬糞」というあだ名がついたとしたら、修正心を持つ人が「バフンウニ」と呼んでいく。「メカゴリラ」だったら、「メカゴリラの煮付け」、「インキンタムシ」だったら「タムシ印の漢方薬」など、口に入るものは最低限それを好んで食べる人間がいるから、あだ名がマイルドになっていくのだ。

他につくあだ名が良くなる可能性として、クラス全員がギリシャ神話や日本神話の素養があれば、「オリュンポス」「ヘラクレス」「スメラギノミコト」など必然的につけられるあだ名がカッコよくなってく行くが、世間に数多ある学校がそのような、あだ名対策としての神話に時間を割くところがあるかどうか。
もし割いてくれる学校があるとしたら、その校長はゼウスのようないでたちなのかもしれない。