思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『焼き鳥』


焼き鳥とは、安そうであって安くない、ちょっと頑張れば家で作れそうでできない、そんな食べ物である。
スーパーの駐車場に来ている屋台の焼き鳥なんかにはついつい足が向くが、その安い雰囲気に惑わされ何本か買ってしまうと、すぐにそのスーパーで売っているカツカレーの価格を超えてしまう。
不思議である。そして、どこで焼き鳥を買っても、軒並み美味い。
何がそんなに美味しいのか。
その重要な要素は『串』である。
あれが刺さってあるだけで、美味く感じるし、「シェアだ、シェアだ」と串から外してしまうと、鳥の素炒めになってしまうのである。
「コカコーラは缶で飲むのがうまい」というのと同じく、缶や串に興奮作用がある物質が塗りたくられてるのではないか、または元来串にはその先端を尖らせたフォルムから生命の神秘につながるなにかがあるのではないか、という想像を掻き立てられてしまう。
その謎が解明される日はないが、串に刺すと1.5倍食べ物がうまくなるのなら、ぜひそれを活用していただきたい。
料理をしたことがない新妻が、最初に夫に出す料理は『シチューの串刺し』でいいし、脱サラして夢だった店で提供するのは『串刺しそば』で良い。まずは、美味しい、の一言をなりふり構わず取っていくのだ。
そのモチベーションで、「串がなくても美味しい!」と言ってもらえるくらい、料理の腕を磨こう。その補助輪として串は存在する。
いつかそれを手離したのちでも、たまに100円ショップでその串束を見かけたときに「あんなときもあったなあ」と、思い出され懐かしまれる存在となるだろう。
または、知恵あるものはその補助輪のそのスパイス感をそのまま人生に取り込み、『マイ串』として常時携帯し、不味いと思ったものにはマイ調味料のように、串で刺して1.5倍増しにして食べるのだ。
物価高の中、外食を一色たりとも無駄にできないこの時代、リスク回避として、そんなオツな技を駆使するのもありなのかもしれない。