思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『熱中症』


熱中症をなめてはいけない。塩飴はなめてもいい。
相方と某テーマパークで並んだときのこと。そのアトラクションのために、朝から3時間ほど待つことになった。その日の太陽はご機嫌で、サンサンとアスファルトに熱を注ぎ、そこにスネを当てたらその熱さで自然の脱毛処理ができるんじゃないか、と思えるほどの天気だった。
そして、オイラは家を出るとき全くそんなことを考えずに着の身着のままでこの遊園地に赴き、与えられたレジャーシートを敷いて、前日に買っておいた『綾鷹』を適宜飲みながら、少し太陽熱で温められたスマホをフリックしながら、ただただ新緑の若葉が光合成をする量と同じ太陽光が身体に浴びせかけられ終わるのを待っていたのである。
そして、次の日起きるとオイラの頭は鉛が詰まったように重くなり内臓は呼吸すると苦しくなる、いわゆる熱中症となり、その日は一日動くことができなかったのだ。

というわけで、晴れて『初熱中症』となったわけで、列で待つ時間も熱中症で苦しむ時間ももうコリゴリなのだが、しかし、オイラは違う意味での熱中症、つまり「病的になにかに熱中をしたい」とは常々思っている。
無趣味、自分探しを長年やってきたのはいつも言っているどおりだ。
さて、今回考えたいのは『熱中症にならないための熱中』をするにはどうするか。

根本として抑えたいのは、心頭滅却してその熱さもまた涼しい、という意識を基礎として構えることだ。
そのために、まずマントラを唱えながら、そのアトラクションに並ぶ、という方法をとってみよう。唱えるのもいいし、もしかすると米粒に書いて待つのも、熱さを忘れられるだろう。
また、思い返したいのは、冷たくされたときの思い出だ。お高くとまったあの娘への告白後の冷笑や氷の微笑の鑑賞、上層部を内部告発した後の冷遇、工場や車の運転中ヒヤリハット、それらもレジャーシートの上で待ってる間に火照った体に使える冷却装置になりうるのだろう。
そして最大級に頭に思い描いてほしいのは、カキ氷を食べたときの『キーン』である。
あの『キーン』の状態を3時間維持することに熱中すれば、いよいよ本家の熱中症を覆いかぶせる勢いで『熱中症にならないための病的な熱中』が勝るかもしれない。

実は、テーマパークに行くのはレジャーであり、修行である。
オイラは「行きゃなんとかなるだろ」と軽い気持ちで行ってしまったが、上記のことを実行したところで結局、熱中症に、なるにはなる。危険である。
ただ、その並んで待っている間の修行したあなたに、何も残らないわけではない、と言いたい。
身体には太陽熱とは別の熱が、宿ることに期待するのである。