思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『百年前』


百年前であれば、この世にいるオイラの魂は、前前前世が当てはまるだろうか。
百年前にはすでに、映画はあった。
改めて、衝撃的な事実である。
しかし、食べるものの種類も今より少ないし、娯楽や、電化製品なども今と比較し、もちろん物足りない。

では、百年前は何がなかったのか。
まず、『ドラえもん』だ。これは百年前にはその概念も知られていなかっただろう。果たして、アニメのドラえもんは百年後にはまだ続いているのだろうか。2112年にはドラえもんが産まれてしまうことになるが、それでも子供に夢を与え続けられるには、世界が技術革新を起こし続けてドラえもんを作り上げるしかない。同時に、どこでもドアやタイムふろしきなどの開発が急がれる。

百年前に「エロかっこいい」という言葉は、はどうか。
なんとなく、『花魁』という存在は今にして思えばエロカッコいい気はする。
あとこの時代にこの「エロかっこいい」が使われるのだとしたら、飛脚の存在を捨て置けない。
現代では当たり前にしている肌の露出を、明治大正の時代は積極的に出す人などは飛脚くらいのものだったと思われる。

そして、彼らの一番のエロカッコいいところとは、「ティーバックを世界一早くはいていた」ところにある。
たしかに、和製ティーバックではあるが、江戸から大阪を3日で駆け抜けることで引き締められたそのケツには多くの人が魅せられたことだろう。

ちなみに、タピオカもまた、歴史の中で神出鬼没である。
百年前にあったかどうかは定かではないが、今現在、は鳴りを潜めている。ただ、タピオカのことだから102年前は並びきれない列をなしたブームが来て、99年前にまた再度ブームが来ていたかもしれないので、なんともいえないところでもある。

百年前の資料は、あるにはあるが、やはりすべてのことがわかるわけではない。
また、いつのまにか根付いた『パパ活』は何年の何月何日からあるのか、そういう新しい概念を決定付けるためにもタイムマシンの出現が待たれる。
そのために、ドラえもんの研究開発者には早めにその夢をかなえてもらうことを願い、その後に控えるオイラたちの気持ちを乗せた『夢をかなえてドラえもん』を今、口ずさむのである。