思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『カーネーション』


母の日以外にまず見ることのない花であるカーネーションであるが、その花は世の母親を脅かす。
「いいんですか?今年はカーネーションもらえなくても」という脅しに震え上がる。
母は母の日にこそ母であることを確認できるのだ。いわば審判のときである。
子供が小さいときは良い。学校かなんかで母の日に対しての意識付けをしてくれるおかけで、花としてのカーネーションではないにしても、作文や折り紙、肩たたき券として母の日をねぎらってくれる。

中学生以降になると、少しづつもらえない可能性が増してくる。段々と母親に悪態をつきはじめ、そのうちにその娘は母さんを泣かせるような友達たちと戯れるようになり、すぐに誰が義理の息子がわからないおばあちゃんとなるのである。たとえ子供に母親と認めてもらおうと毎日朝早く起きて弁当を作り、パートで部活費用を稼ぎ、夜なべして手袋編んだりしていたとしても、子どもというのは勝手なもので、たった一回の弁当の作り忘れにより、お母さん認定を外す暴挙に出たりする。iPhoneを持たせないと、お母さん認定の取り消しをする。
母の日にカーネーションを渡さないのだ。
毎日一生懸命、子供のために生きているのに、だ。
そんなボロボロになった母。
カーネーションがもらえないことにより心神喪失はしていき、「私、本当に母親だっけ?」となっていき、そうだ私は女だった、と女であることを謳歌しようとして、バラを加えて踊りだす。棘もあって口から血を出しながら踊り舞う。
本当はカーネーションがほしいだけなのに。
あの娘の母親でありたいだけなのに。

母が踊り狂わないように、母の日にはきちんとお母さんを労おう。
間違ってバラを渡して、カルメンを踊らせないようにしよう。