思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『若者』


希望とは、若者のすべてである。
しかし、自分に何ができるのかわからないもので、髪を似合わない金髪にしたり、無理してギターを弾いたりする。
そうして、様々なことをやってみて、可能性の出がらしのおっさんとなったのがオイラである。

今や、平日は家に帰ってきては懐かしいドラマを見返すだけの閉じられた生活に甘んじているオイラ。結局、やりたいことなどなかった、何者でもないオイラには、家に帰ってきて足を踏み入れた瞬間から映画やドラマに支えられて意識を保つ存在に成り代わる。
さすがに家に帰って飯を食べたあと寝るまでの時間すべてを、瞑想に充てることはできないので、仕方なくテレビをつけている節はあるが、昔のドラマを見ていると若い時ではなんとなくしか理解できなかったやり取りなどが理解できるようになっている。
つまり、オイラがこの20年間生きてきた意味は、『ドラマがもう少しだけ深く楽しめる』というところにあったのだ。それだけの20年だったのだろう。あとは、ぬか漬けの味を覚えただけだ。

思えば、希望がなくなりがちな40代に、他に何があるというのか。
俺たちの怒りどこへ向かうというのか、あと何度自分自身卒業すれば本当の自分にたどり着けるだろう。尾崎豊は、40代にも響く。

仕事、趣味、いろんなものから自主退学しているオイラは、これからも『永遠の1年生』であるだろうし、であれば心の中はある意味若者であり、いつでも入学し直す学生である。

そして心の中が若者であれば、希望はあることになる。希望があれば生きていける。
その心が若者である判断基準は、みんなの輪の中で躊躇なく「1ニョッキ!」といって戯れることができる、そんな人間であることである。
もし希望を持てるのなら何十何百ニョッキでも、いつまでも言い続けていたい。