思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『暇つぶし』


ごくつぶしだった期間が割りと長い。
その時の暇つぶしはしらみつぶしにふきでものをつぶすことである。
今でもよくやる。
人生はとどのつまり、暇つぶしということらしいのだが、どの暇つぶしもなかなかときめきを感じない。

よく待ち合わせで相手がなかなか来ないとき、暇つぶしに人間観察をしているが、あまりいい趣味として扱われないようだ。
その理由は、どうしても物悲しい目線や呪いの気持ちが発生するような不幸フィルターがかかるからである。
観察していて、自分の今の『暇』状況を鑑みて、他の人も楽しくあってはいけない、という不幸であってほしい、という念が念波としてはからずも相手に届いてしまうのである。

そこで、人間観察をするときのコツとしては、『天国ベース』である。
これからみんな、天国へ行く行動を起こす、と仮定して、イマジネーションするのだ。
スーツを着た意識高そうなサラリーマンはどこかの田舎のおばあちゃん家に電球を変えるための踏み台になりに行くんだろうし、ギャハハと笑うギャルたちはこれから笑い袋の収録がある。ウンコ座りをしているイカついお兄さんたちは、きっとこれから誰かのためにお花を摘みにいくのだろう。
そのように、天国へ行くための行動をしているように考えれば、その念は嫌がられることはないだろう。
そういった念波を作っていこう。

そんな暇つぶしをぼんやりとしているときは、当然オイラも近くのカフェからぼーっとこちらを眺めている人から、羽が生えて半分空へ行きかけている想像をされている、と思える。
この世知辛い世の中でお互い天へ帰る想像しあうのは、じかに手を触れることのできない背中のふきでものをつぶすことよりは、有意義な暇つぶしするのかもしれない。