思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『スピーカー』


スピーカーにだって意地はある。
仮にスピーカーが一つになっても、海に投げ捨てられても、メガデスをエンドレスで流そうとする意志は止めない。
音楽の力は、こういうところにも及んでいるのだ。
ただ、講話はダメである。
近距離で興味のない講話を聞かされるのは、ただただ鼓膜への苦痛である。
なので、特に講話を聞く時にはなにかしらのフィルターがかかっていると、助かる。
オペラが良い。

スピーカーを通すとその講話がオペラになって聞こえてくると、優雅に時を過ごしている気がして、無駄にならないだろう。
通るバリトンの声、紡がれる物語性。
新しい世界は広がる。もっとも、どちらの形態で話を聞いても、眠くならないことはないのかもしれないが。
あるいは、やはり、スピーカーが眼の前にある人のことは考慮してスピーカーの音を小さくし、伝言ゲームを開催すべきである。
スピーカーから聞こえた講師が話している邪魔にならないように耳打ちして後ろにその講師の意志を伝えるのだ。ゲーム性を持たせれば、より頭に入ることだろう。

広々とした豪邸のリビングにヒノキで作ったものを置けばインテリアになるし、黒人が肩に担ぐことによってスピーカーは主張の道具にもなる。
また、実際オイラが親しみのあるスピーカーは、『呼び込み君』くらいのものだ。
呼び込み君のように、うるささを感じさせない工夫をあるのかないのかわからないビジネスマナーの講話や、おえらいさんの挨拶には施していただきたい。