思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『肩の荷』


肩こりが治らない。
なのに、肩の荷は背負わなければならない。
子育てを始め、地域の草木の世話や、緑のおばちゃんなどもみんなきちんと荷を背負ってやっているのだ。その背中にピップエレキバンの貼りあと残しながら。
せめてその荷が、武者が身につけている鎧の肩パーツであれば、そのまま肩に乗っけて運べるのだが、あいにくそんなうまい話はない。

そしてオイラが特に昔っから気にしている肩の荷は、『友達を乗せた車の運転』である。
運転者は、自分で購入した車を出して、ガソリンを入れ、ハンドルの切り方を一つ間違えれば同乗者の命さえ失うことになる、重責である。運転中に、ダブルチーズバーガーを食うことさえ許されない。
絶対に前から目を離すことが許されず、楽しみは前の車のナンバーで語呂合わせをすることのみになるのである。

そんなドライバーに、なにか特権があって良いのではないか。
今のところ言えることは、「かけている音楽のサビを歌うときは誰も何も言わない」、という文化を作り上げることだ。
Aメロ、Bメロまでは、音源からプロの歌を聞き、そのあと、そのままサビを歌って良いのは運転者だけにする。Cメロもだ。
同乗者の友達たちは、それを聞いているあいだ、「ああ、お金をかけて、俺たちの命を背負って、運転してくれてるんだなあ。感謝、感謝。」となれば良い。これならお金もかからないし、運転者も車を出した甲斐があるというものだ。

あとは、命を背負っているという緊張から当然のことながら肩がこるはずだから、今大人になってこそ、今度人が運転する車に乗るなら、ギフトとして後部座席から叩くための『肩たたき券』を渡すのも良いときなもかもしれない。