思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『バラ』


もし、百万本のバラをあなたにあげると言われたら。代わりのお返しをニシンの骨百万本でしかできそうにもない。
しかし、バラだろうがニシンの骨だろうが、気持ちが大事なのである。どちらにしても、100万本ものそれらのものをもらっても、使い道はほとんどない。
そもそも、バラが食べられればもらったあとも「食べて応援!」という気なるのだが、バラは食べるものではなく、カルメンを踊るときなどに口にくわえるものである。
あれがあるからカルメンだし、茎の長い葉っぱを加えるから昔の不良はカッコがつくし、食後に爪楊枝を加えるからサラリーマンなのである。

しかし、そんな使い方では、もし100万本のバラをもらったとき、残りの99万9999本の仕事場がない。バラニートである。
そんなバラに活路はないのだろうか。

もしかしたら、そこまでありあまるバラがあったなら、公にされている女性の裸の絵画や銅像の胸と股間を隠す活動に勤しみたいと思う人が出てくるだろう。
世の中にはありとあらゆる女性の裸が蔓延っている。大きめの公園に行けば、なぜだか裸の銅像がそこにあり、いたいけな子どもたちが目にする機会もあるだろう。
小学生の目に、胸の膨らみやパンツを穿いてない股を見るのはまだ早い。
そこで、バラの登場である。その隠さなくてはいけない部分にバラの花を貼り、エレガントに仕上げる。そうすることで、銅像でも絵画でも、その品位が損なわれることはない。
大人にしても、子どもから「なんであの女の人おっぱい丸出しなの?」という質問をされることがなくなるのでWIN-WINとなるなのだ。

しかし、やっていることは非常識なことではある。当然、逮捕される可能性もある。
そうなると、その活動家は正体を隠すために、もしかするとタキシードに仮面をつけたりしてその活動家を勧めていくようになってしまうかもしれない。
99万本以上のバラを使い切るまで、果てしない道のりだ。