思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『ダース・ベイダー』


うちにダース・ベイダーがやってきた。
というのも、とある商業施設で、相方がどうしてもやりたい、といってやったガチャガチャの中で、いちばん欲しくない景品として転がりでてきたのが高さ5センチほどのダース・ベイダーだったのだ。
これ以外だったら何でもいい、という状態から、まさかのダース・ベイダーだったので、相方はとても残念がっていた。
しかし、オイラは、こういう時は前向きに考えることをいつしか覚えており、「今回ダース・ベイダーが出たということは、悪運を使い果たしたので、別の機会にはダース・ベイダーは出ない可能性が上がったんだよ」と相方にむしろプラスだった、というような話をして、その場を収めることに成功した。
思えば、家にはダース・ベイダーはなかった。
家にダース・ベーダーが収まることによって、ダース・ベイダーの席は埋まり、オイラの計算上ではもう運任せのガチャ行為では欲しくないものは出なくなるはずだ。ダース・ベイダーはある意味で守り神なのである。
さて、そんなダース・ベイダーを家に持ち帰り、どこへ置くべきだろうか。

無い。置き場所がないのだ。
相方はディズニーは好きだがスターウォーズに関しては映画を一通り程度で特にファンということはない。オイラも同じく、映画は楽しく見たが、記憶は薄くなり、スターウォーズは7、8、9の記憶がほとんどない。
ダース・ベイダーを置くヒントがその辺りの作品にあったのなら、なんとか思い出したいが、なんとなくそれは必要ない記憶は残っているので、思い出さないことにする。
つまり、オイラも相方も、置いておきたいと思える場所がないのだ。
苦肉の策なのか、相方は黒いデジタル時計の数字のデジタル表示に被らないところに置くことにしていた。
こうすれば、目を凝らさなければ遠くからはダース・ベイダーを認識できない。
しかし、ダース・ベイダーはキチンと我々のことを見ていてくれている。

そうすると、どうしてもダース・ベイダーに見守ってもらっているのに、我々のやってることはダース・ベイダーにとって喜ばしいことなのだろうか、と考えを巡らせてしまう。
しかし、うちのダース・ベイダーはオイラたちをただただ見守るだけで言葉は発さない。
親の心、子知らず。ダースベーダーの心の内は、我々には永遠に知り得ないのだ。