思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『かき氷』


みんなが握りしめたくなるかき氷ってあるのだろうか。
夏には、熱い気持ちをたぎらせてくれるかき氷が欲しい。
食べるかき氷より、触って楽しむかき氷。
握りしめるかき氷の他にも、背中に入れるかき氷や、フレバーと一緒に吸うかき氷など、様々なシチュエーションに合わせたかき氷の開発が待たれる。

なかでも、やはりかき氷といえば、「キーンッ」と頭痛が痛いようなショックがあり、その状態に陥ることで、子どもたちに伝えたいこと、大人たちがやるべきことを考えるスペースが生まれたりする。
つまり、あの「キーンッ」は、夏に訪れる人生に幅を広げるための、生活のアクセントなのだ。
それは、夏から奪い去ることはできない。
とは言っても、あのかき氷を食べているときの「キーンッ」は本当に邪魔だ。
もっと続けてかき氷を食べたいのに、合間合間に立ち止まって考える時間を与えられてしまう。
何か他に「キーンッ」を移すことはできないのか。

答えは、マイクのハウリングにある。
かき氷を食べる前にまたハウリングの「キーンッ」の間で、地球の水温上昇や、砂漠の拡大化について考え尽くすのだ。
そうして、キーンッの最中に考えるべきことをなくすと、かき氷の最中の「キーンッ」が不思議とやってこない状態になるはずだ。
あれは、母なる地球から生まれた我々人類に対して、「あんたはこんなことする子どもじゃなかった。優しかったあの頃に戻って!」
を、かき氷やマイクのハウリングの「キーンッ」を通じて、人類に問いかけているのだ。
それさえ考えつくしたなら、もう、どんなに冷たいかき氷を食べたって、モニターにマイクを近づけたって、「キーンッ」としないことだろう。それがされるのであれば、まだまだ母なる地球についての思いやりの気持ちが足りてないということだ。
まずは、小さな苗木を大切に育ててみよう。

一番「キーンッ」と関わりが深いのは、かの有名なアニメの『アラレちゃん』であろう。
彼女はロボットながら、かき氷とハウリングのときと同様、毎度手を広げて「キーンッ」としている間に母なる地球のに対しての強い思いを深め、ピンクのウンチを棒で拾ってそれをお祓い棒として、いつだって母なる地球への祈念を欠かしていないのかもしれない。