思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『悲鳴』


緊急事態には悲鳴が聞こえる。
特に女性の悲鳴は、オイラたちにもその悲鳴対象に対して警戒することを意識付ける。
お化け、毛虫、ねずみ、ゴキ・・・全てがおっかない。
それらの警戒意識を悲鳴で高めて、身の振り方を考える材料にする。そして、場合によっては、他の人のためにも、自らも悲鳴を上げて、連鎖を作っていくものなのである。

また身体も悲鳴をあげる。
オイラの身体の良く悲鳴を上げる部位は、やはり尻の肉である。
夏場なんかは、少し歩くだけで肛門回りが汗で蒸れてその塩分が皮膚を痛め悲鳴を上げる。皮膚も、これ以上はどうなるのか、おっかないのだ。
それを合図に、つま先立ちになったり、がに股で歩くようにしてなんとかその警報をおさめられるように近くに肛門を洗えるウォッシュレットがないかをよく探す。
ある部分が悲鳴を上げた時、悲鳴をあげている間が何気ない日常を取り戻すチャンスである。
悲鳴も上がらなくなったら、自分の身体へのメンテナンスが間に合わなかったお仕置きからしばらく戻れなくなるだろう。
それは、先の尻肉で言えば、ケツが一週間はヒリヒリする、『ケツヒリ病』になってしまうのである。

そして、機械も悲鳴を上げる。
何が最も悲鳴を上げるのか。

FAXであろう。
なんせ、日本はいまだにFAXを使いまくる。
各省庁、あるいは各会社のFAXは『ピピ―――ヒョロヒョロ』の音に「もう、俺たちを開放してくれー!」と悲哀に満ちた叫びの意味を込めて発していることだろう。
電子メールはそんな彼らのことたちを横目に、全く違うツールとして、これはこれで日々やり取りに勤しんでいる。
彼らを使ってFAXを救えばいいのに、誰もその声はあげず、おそらくは悲鳴をあげて各省庁の人間たちはFAXを送りまくっている。
果たして、彼らを救うときは来るのだろうか。
これだけ日本で使われているFAXの生産ラインの人たちも、なぜこんなに使われるのかわからないものの工場に勤めて、半ば悲鳴をあげながらパーツをはめ込んでいることだろう。
作る方も使う方も、みな狂気であり、悲鳴を上げることから逃れられないのである。