思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『炭酸水』


炭酸水は、今やビールと同じぐらいうちでは重宝している。
あの刺激でノンカロリー。爽快な喉越しが癖になる。
家にいるときにはとにかく暇さえあればそこらのスーパーで購入した炭酸水を口にしているせいか、いつも喉の奥では微炭酸が噴出している感覚がある。
もう少しこの炭酸刺激生活を続ければ、いずれDIOのような目から炭酸のスペースリパースキャンティーアイズを打てる日も来るのではないだろうか。
しかし、その刺激の力は正しいことに使わなくてはならない。
そう、炭酸水の本当の使用目的は、その刺激の力を正義の力に使うことである。

昨今、炭酸水の開発はその強さに各社がしのぎを削っている状態だ。
その開発が勢い余って、先程のスペースリパースキャンティーアイズのような、殺傷能力の高いものに仕上がってくる可能性も否定できないだろう。あまりにもその喉を通る刺激が強すぎて、そのうちに「炭酸水に親を殺された」なんて子どもたちにも出てくるはずだ。
それは、炭酸水の力の本来の姿とは言えない。
本来は人のために役に立つ力なのである。
例えば、道端で倒れてしまった人がいたなら、そのメチャ強炭酸水を心臓のあたりにかけて心臓の心拍を正常にしたり、冷蔵庫で固くなったパスタにかけてそのパスタを超美味しくしたり、トイチ闇金借用書を少しその炭酸水をかけることで粉微塵に粉砕したり。
その進化していく秘められた力に、やり方はさまざまである。

ここ数日、炭酸水に近づきすぎたオイラからすると、この炭酸水というものその強大な力ゆえに頑張りすぎるところがある。
大丈夫。
時間が経てば自ら気の抜けた炭酸水となり、人のための力が行使されるのは次の新しい炭酸水が引き継ぐ。
日本、いや世界の国々もこのように、自分たちのことだけじゃなく、炭酸水のパワーを皮切りに次の世代へとつなげられるような方向に向かっていって欲しい。