思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『心臓』


毛が生えるべきもの、いや生やしたいもの、それは今のオイラにとっては頭髪よりも心臓である。
それほどに、神経が太い人間にオイラはなりたい。
ほかにも、ロックミュージシャンのようにビートを刻む心臓や、驚いた時に喉の奥から飛び出す心臓などにも憧れるが、各々の心臓にも各々の事情がある。
そう、心臓も性格を持っているかもしれないのだ。
好きでもないのに120BPM以上のビートを刻んだり、シャイなのに一瞬でも口からハートの形でもって外の世界に飛び出したい、というわけでもないのだ。
そんなことを考えていると、実はオイラたちは心臓に動かされているのではないだろうか、と思い始める。
オイラが恋をしているのではなくて、心臓が恋をしているのではないか。

つまり、心臓が心臓に恋をしているのであって、オイラ自身は恋をしていない。
主体は心臓同士。勇敢に拍動する様だとか、弱っている体を励ます脈動だとか、そういうところに惹かれあっているのだろう。
オイラたちはただそれに身を任せているだけの、悲しきマリオネットなのだ。心臓同士がより近くにいられるよう、アプローチをするしかない。

また、心臓が止まっている人に対してでも相手が女性であるがゆえにAEDをすることに抵抗がある人が割といるような感じの世の中の、今。

そんなとき、自分の心臓はどうしたいのか。きっと、相手の心臓を同胞とみて助けたいと願っているはずだ。
たとえ助けた「女心臓」が自分が気に入らない隣の席の「イケメン心臓」にしか興味がなくても、だ。
もしかしたらそれがきっかけで心臓同士ではなく、各々の「顔面」同士が惹かれあうことになるかもしれない。
そうして二人が恋に落ちたなら、きっと心臓は、自分の気持ちを差し置いて、拍手的拍動で顔面たちのことを祝福してくれることだろう。
結局は、心臓とは悲しき縁の下の力持ちなのである。