思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『ドンピシャ』


アンパンマンに新しい顔が挿げ変わるとき、ドンピシャ感を感じる。
ちょうどいい具合にバイキンマンにやられ、見てるこちらに嫌なムードが伝わってくるジャストタイミングで、ジャムおじさん連中がアンパンマン号から新鮮な顔が描かれたデカ顔アンパンをサイドスロー気味でマントを付けた赤い身体に向けて放る。ドンピシャの位置で汚れた顔と入れ替わるなり首のあたりで新しい顔が回転し始め、ピタリと止まって元気100倍になり、数秒後にバイバイキンを言わせるのだ。
このドンピシャ感が、気持ちいい。
そう、物語にはドンピシャ感が必要なのである。
映画なども当然、そうだ。
ミュージックが始まり、主人公が踊りながら闘っているとドンピシャで敵が振り回した手にあたったり、ひっくり返ったテーブルに顔をぶつけたりして、追い払われたりして。古くはジャッキー・チェンの映画でもドンピシャはかなり生まれている。
闘いのシーン以外でも、転校生とドンピシャのタイミングで曲がり角でぶつかったり、不意に倒れたところに女性の胸がドンピシャのところにあったり。
どれもこれも、人々がドンピシャを求めているから、そのニーズに答えている、という構図なのである。

しかし、やはり我々庶民が普通に生活している中でも、そのドンピシャを体感したい、気持ちよくなりたい、という気持ちがムクムクと湧き上がることがある。
ささやかで良いから、味わえることはないのだろうか。

オイラは、全部の信号で赤から青になるドンピシャのタイミングで東京ー浜松間を往復できたら、と思う。
日常生活で、赤から青になる瞬間に交差点に入ることほどドンピシャなことはないだろう。その時、脳内にはエンドルフィン的な快感物質が出ているはずだ。
そのドンピシャ感を日帰り旅行で達成できたら、それ以外の時間に便が少し緩くても小指をダンスにぶつけても、その1日になんの不満もない。
そんな、ささやかな願いを、星に込めている。

冒頭に書いたことからわかるが、ドンピシャは人に作られるものでもある。
生まれてこの方、草野球でもなんでもホームランというものを打ったことがないオイラに、ほぼ同じように全力スイングをするから、職人的熟練ピッチャーが風も読み、そのオイラのスイングに合わせてホームランを打たせてくれるようなことも、星に願ってみるのである。