思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『前情報』


進撃の巨人のアニメが最終回を迎えるが、当然のことながらニュースサイトにはその内容について触れられているかのような見出しがつけられている。
オイラは、映画やマンガの前情報がめちゃくちゃ濃い内容でネタバレしていた場合、できることは「その作品は音楽的な快感を楽しもう」と考えることくらいだ。
つまりオイラは、『前情報薄め派』である。
好きなアーティストの楽曲でも、最初の一回は「何だこの曲!最高か!」と驚きたいものである。
映画などの物語はストーリーの意外性で驚きたいし、行ったことのない観光地も、普段都心近くで暮らしている考え方とのギャップに驚きたい。
その辺をうまく調整されている前情報は、今や昔。
現代は何でもネタバレばかりの世になってしまった。
ちょっとスマホを見れば日本シリーズの結果は速報で入るし、封切られた映画のそこそこのネタバレもニュースサイトで取り扱われている。
かといって、スマホを見ないと、カリスマボイストレーナー秋山が初期に語っていた『隙間』というものを可能な限り埋めることができない。
進むも地獄、戻るも地獄だ。
前情報に貞操帯をつけていただきたいところだが、肝となる情報を知ってしまったら、どうしたら良いのだろうか。

それは、『進撃の巨人』の如く、その都度エルディア人になって始祖の巨人の力で記憶を操作してもらい、その情報を初見にしてもらうことだ。
始祖ユミルの優しさを持ってすれば、一度オチを知ってからその物語を見る悲しさを拭い去ることなど造作もないことだろう。
なんだったら、進撃の巨人10巻前後でライナーとベルトルトが裏切る衝撃のシーンのところを見た記憶を何回も初見にすることも出来ることだろう。

ただ、記憶操作だけではちょっと無理めなこともある。
それは、結婚した相手のあの若いときの初々しさにみた喜びを得ることだ。
例え、40代になりその場で記憶をなくしたところで、割と好みの40代の異性が目の前にいる状態から始まり、仕草の初々しさは見て取ることはできないだろう。
もしそれをもう一度体験したいなら、永遠の肉体の若さと心の若さを願うほかない。
お優しいユミルは、また甘やかしてやってくれる可能性大だ。
「座標の砂を渡すから、自分でやって!」と言える性格だったらユミルは二千年もあの世界にいないだろう。

仮にユミルが最初に愛した人がフリッツ王ではなくて『腰が低い中肉中背愛されおじさん』だったらば、そのおじさんから始まった物語の結末は、本物語と全然違う、毎夜毎夜のパーティナイトの連続になったのかもしれない。