思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『倉庫』


日本に今足りないもの。それは倉庫である。
商業利用はもちろん、個人でも都会ではトランクルームが成り立っているくらいにモノの置き場というのがなく、つまりはどこもかしこもギチギチだ。
また、倉庫とは屋根付きの広場、といいかえることもてきる。
別にモノがなければそこでクリケットをやってもいいし、愛を叫び続けても良い。腹芸の練習も可、だ。
そしてその流れでいつしか倉庫が富の象徴となり、「俺、倉庫思ってるけど、何か貯蔵りに来る?」と異性を誘うことができ、「私をラックの中に入れて!」という人が殺到していき、家なく物置で寝起きしている若者の嫉妬を掻き立てていくのである。
そうすると、異性がその倉庫にどんどんおさまって、そこで寝起きし飯を食っていくことになる共同生活が始まっていくのだろうが、そうなると、さらにどういうことが起きていくというのだろうか。

そう、スペースの取り合いのための肥満勝負である。
ラックにおさまっている富の享受をしている人々はそのラックで「いかに幅を取るか」、つまり「いかに幅を利かせるか」でその所有者からの愛を勝ち取ることに熱中していく。
そうなると、身体一つでの勝負になれば、あとは体重を増やしていくしか無い。
倉庫の周りにある食べられる草、食べられない草、木々、蜜などを吸い尽くす。倉庫の周りからどんどんペンペン草も残らない状況が広がっていく。
そうしてデラックスになった人々により、ラックは潰され、倉庫が満たされていく。
富を持ったものは、さらに隙間を埋めるべくその間に風船でも入れていくのかもしれない。

ちなみに、オイラの家の押し入れにはオイラのモノはほとんど無く妻のものばかりで、必用最低限の衣服類ですでに容量がなくなるほどの狭さ。
それが、いかに富んでないことか。
「まだまだ人生はこれから!上り調子だ!」と思い続けて早10年以上。
せめて聞かなくなったCDアルバム十数枚の水ペースが入る押し入れのところへ引っ越したい。