思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『後回し』


物事を後回しにするのが、主な日課である。
金銭的にも時間的にも、いかに効率的にやるかを考えると頭がパンクしそうで、優先順位すらつけずにひたすら自分の背中に後回しにして置いていき、そのうちそれが地球を一周して目の前に現れたときこそが、真にその物事をと向かい合う時が来た、と言える。
恋愛も筋トレも友達作りも資産形成も、すべて一度後回しにし、年齢も熟したときにもう一度、相まみえる。
「60代になってからの成熟したピュアな初恋。」
「70代で見よ、この筋肉」
「80代になって、真の友を見つけました!」
「90代になって、やっと老後2000万円問題解決したよ!」
こうなるのは、すべての物事を後回しにしてぬか漬けのようにしっかり寝かせた結果だろう。

しかし、果たして本当に円熟こそが正解なのだろうか。
すべてを『後回し』にしないと、問題解決がはかれないのであろうか。

もしかしたら、『猿回し』でも可能かもしれない。
日光あたりで猿回しをしていれば、その芸を見に来ていたお客さんとの恋愛もあることだろう。
猿オンリーの芸だと飽きられてしまう、と大道芸をするための筋トレもしていくことになったときそこで初めて真の意味で芸をする側の気持ちがわかり、そして猿とは主従関係のない心の友になり、心友の猿にしかわからない猿秘伝のバナナ的アドバイスにて資産形成を為すのである。

そして猿の素晴らしい心根に触れたのなら、もう人間との関わりのほうが後回しになり、猿のために猿がいかに快適に生きられるか、栃木の一部を猿の自治区を求めるようになっていく可能性は十分にあり、そしてどんどん自分も猿に近づいていき、最終的には山で腰ミノ一つで暮らしていくようになる。
え?猿は腰みのなんてしないんだから、猿になるなら腰ミノもはずせ、って?
いいや、腰ミノを取って生物の源である性器にバイキンが入って使い物にならないようにしちゃいけない。
それだけは、どうしても後回しに出来ない問題なのだから。