思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『ナルシスト』


「自分を認めろ」とか「自信を持て」というが、ナルシストになるのは違うと思われる。
鏡の前でカッコつけようとも、いついかなる時に誰のユーチューブに映っても言いようなすました喋り方になっていようとも、いつか、現実が押し迫る。
誰にウインクしようともいつまでも反応はないし、薔薇をくわえて踊っていてもそれが食用か食糧なのかを聞かれるくらいで、欲しい称賛は浴びられない。
マンガやアニメのキャラクターのように、ただただナルシストを推し進め生活を続けることはできず、脱落していく。

大多数の一般的な人間生まれてきたナルシストたちは、自己の過大評価により勘違いすることになり、自分が思い描いていたような人気を得ることもない。
なので、それがどんどんトチ狂ったように福山雅治を研究したり、常に「マーくん、カッコいい」と言ってくれるオウムを飼いだしたり、「この世で一番美しいのはだあれ」と聞いたときに、確実に嘘をついてご機嫌をとる魔法の鏡を探す旅に出るのである。
まあ、こういう輩は間違った方向に進んでいるのであって、本来は正攻法でいくべきだ。

それは、業界を変えることである。
これは、いつもわりと本当にオイラが言っていることで、そこで評価が得られないなら、別の業界に行くべきである。
若い女性から認められないなら、3〜4歳児から評価されれば良いし、製パン業界でカッコいいという評価が得られないなら寿司の業界へ行けば、評価されるかもしれない。
とにかく、自分を変えずに業界を変えていく、というのがまず落ちこぼれナルシストできることだ。
そうしていっていて、行き詰まれば国を変えてみればいいし、その先にはターゲットの種別を変えるというのも良いだろう。
まず簡単にハエなんかは寄ってくることが多いので、自分がウンコくさいと思っているならば、この界隈からチャレンジするのもアリだ。その後は蚊やヒルに挑戦してみてもいいのだが、一つ、モテるときに注意しなければならないこともある。

それは、人気がゆえに追っかけられたときにギリギリ追いつかれない存在に評価されていくことが重要だ、ということだ。
クマやスズメハチに自分の魅力に気づいてもらえたとき、それは嬉しいことだろう。
しかし、彼らが自分を追いかけてきたときのことを想像してみてほしい。
追いつかれたらそこには死が迫っているのだ。危険極まりない。
しかし、それこそ別に美しくない一般ナルシストには、二枚目ではない自分史の中で「クマに食われているナウ」なんつってつぶやいたときに、自分の死の際の美しさの芸術を見せつけるというナルシスト人生の集大成になることだろう。
そうなれば、ナルシスト冥利に尽きる。


ナルシスト自身が死んで、その魂は食ったクマにその想いが継承され、クマの美意識が目覚める。
軽やかなステップでしなやかに山を降り、目をパチパチさせる。
クマがエレガントな角度で髪をかきあげ片足を上げてポーズをつけながら美しく食いつこうとおちょぼ口になって人を襲ったとき、こちらがナルシストじゃないならば、キスが成立するかもしれない。
まずは、やってみよう。