思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『冒険』


冒険者の知り合いはいないのが、残念だ。
氷の山に登ったらへそ出し魔神が自分のへその緒を探していただとか、熊VS巨大チンパンジーの間を縫って命からがら逃げ出してきた、とか、そんな話を直接聞けないのは人生の半分を損している、などと常々考えてしまう。
もちろん、オイラも昔はテレビゲームにて闇の魔導師だとか全身が燃え盛るドラゴンみたいな奴らと戦いながら仲間との友情を築いたり、世界を救ったりしたものだが、現実の冒険はというと慣れてない繁華街でショーパブだのオカマバーだのに友人と入ってみるのが関の山だ。
危険度の高い客引きからの声がけがあったなら、すぐさま反対側の歩道に渡ろうとしてしまったりする。この行動は99%正しいことだと思うのだが、しかしもしかするとついて行った先のぼったくりバーにこそ、自分の心から好きになれるモノがあるかもしれない、と思うこともある。そういったホットミルクにしたときに浮く膜のような薄い可能性にかけてこそ、本来の冒険者たりえるのかもしれない。

ほかに、庶民の冒険の王道としては、飲食店にある。
ぼったくりバーほどわかりやすく危険性を感じることはないところにまた、庶民的冒険心をくすぐられるところがある。
まずは、その冒険者の登竜門としてあるのが、『店の佇まいがボロボロ、一見さんお断り』感の強いところである。

本物の冒険者は、『あの店、外観ボロボロだけど、100年ものの継ぎ足しラーメンスープかありそうだ』などとその鋭い嗅覚で冒険すべきポイントを嗅ぎつけ、店内に人がいない様子であっても構わずその危険を冒しにいく。
そして、それがインド系カレー屋だったら、もちろん未知の世界への扉を開けるために一番辛いものをオーダー。
また、メニューに『くさや』とか、『ドリアン』の文字が目に入ったら絶対に注文するのが、庶民的冒険者の頂点たるもののが肝に銘じている使命感なのである。

かつて、冒険映画といえば、スタンド・バイ・ミーグーニーズインディ・ジョーンズと憧れるものがたくさんあった。
『特に何も持っていない』と感じるおじさんたちが憧れられるには現実的な冒険者として、先程の庶民的冒険者のトップになること、つまり、どんなものもおいしくいただくことが肝要なのだ。
ラーメン屋が出すバナナシェイク、それもいいんじゃないだろうか。