思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『くじ』


人が作り出すクジなんてのは、誰かがズルをするものである。
カイジVS会長のティッシュペーパーくじ引きしかり、お祭りのくじ引きしかり。なかでも、お祭りの当たりくじの入っていないクジ引きがある意味で暗黙の了解となっていたが、この頃ではにYouTuberによってそれが晒されていたことに時代を感じ、「どうせ当たりは入ってないんだろうが、子どもを残念がらせる費用としてしかたないか」と言える余裕もなくなってきている。
もっとも、まだ小学生くらいのピュアな心を持っていたころ、人気の子の隣の席に座るためのくじ引きには、少しは公正なくじ引きが行われていたかもしれない。
今考えれば隣に座るだけのことで、肝心のその子は自分の席からサッカーがうまい垢抜けた奴のことばかり見ていたことだろうに、子どもというのは本当に純心である。
くじ引きは誰かに幸運が訪れ、誰かが不安を感じる。そんなものてあるが、みんながみんなを思い合う、そんなくじ引きはないのだろうか。

神が行う魂のシャッフルくじ、くらいだろうか。
「はい、一回みんな魂変えるよ〜」と神様からみんなの頭に直接のメッセージが込められ、各々がくじを引いていく。
例えばあるインド人がペンギンに、野良猫がシャチに、歯ブラシが石鹸に、とありとあらゆるモノが魂の交換を迫られていく。
もちろん、例え自分が大スターの身体を得たとしても、使い方なぞわからないし、身体のサイズから少し魂がはみ出てしまい、ジャストフィットせず、着ぐるみを着て動きづらい一生をおくることになってしまう状況になってしまう中、周りも同じでそのへんでスムーズに体が動かせない生物がのたうち回っているのだ。
これはもう、それぞれがそれぞれの身体にあてがわれるようにくじが当たることを祈るしか無い。

オイラだったら、そんな神々の遊びは絶対にしない。
くじなんて不確定なものではなく、シッカリとしたヒアリングをし、何度も調整を重ねながら、それぞれが各々のなりたい姿になれるようなエナジーを降り注ぐ、そんな神になる。
しかし、それができるのはオイラがくじ引きで神になることがあった時の話である。