思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『途方に暮れる』


途方に暮れるときには、きちんと体育座りをしながら少し涙目になって遠くを見つめるのが作法である。
先日、テレビで酒を飲んで終電に乗ったサラリーマンの方々が寝過ごして終着までたどり着き、もう家に帰れなくなっている様子が映し出されていた。
その終着駅にはコンビニすら見られなく、ただただなにもできないおじさんたちの集積場と化しており、体育座りをしたりしなかったりしているのである。
そんな場所では朝まで無力さを感じながら彼らはどのような行動様式で過ごしているというのか。

そんな状態でも「今できることを」と、宇宙人と交信を試すというようなことをするのが大切である。
決して無力じゃないんだぞ、と、その場で手を天にかざして、どこかで得た知識で交信のためのセリフを唱えるのだ。
しかし、一人のおっさんの力では、事をなしえるには心もとない、そう思うこともあるだろう。
大丈夫、仲間はそこかしこにいる。
みんなで力を合わせて手を繋いで、頭の中に宇宙人へのメッセージを思い描くのである。
これさえ成功すれば、宇宙船に乗せてもらうことにより、途方に暮れる無力な自分と、そしてその終着駅とおさらばだ。

諦めなければ、どうしょうもない条件下でも救いがあるのだ。
しかし、今回のように宇宙船に光の中に持ち上げられるような乗り方だった場合、気を付ける必要もある。
もし、それがキャトルミューティレーションされてしまったのなら、途方に暮れる暇なぞおそらくは、無いのである。