思ってもみないことばかり。

「ほめる、認める、肯定する。」をモットーに、何もないおっさんになった自分が大喜利や日々のことを書きつづることこで変化していくさまを記録するブログ

『まぼろし』


「幻の」という言葉には、『なんだかとても良いもの』の表現の一つであるが、実在しないものが実在するかのように見えること、が基本的な意味である。
テレビなどでは、料理などで幻のラーメン、幻の行者にんにくと言われたり、幻のパワーストーンだとか、幻の蜃気楼だとか、そんな使われ方をするが、一回そのかけているメガネが曇っていないか、拭いてみたほうが良い。
結構ハッキリそこにあるから。

そして、オイラもそうなのだが、自分は社会の中で幻になっていないだろうか。
確実にその人の目に入ってるのに、見えてないような態度を取られて、結果旅行のお土産の頭数にも入っておらず枕を涙で濡らした夜は、この世には確実に実在する。
もっとも、向こう側から自分に手を振られたと勘違いして手を振り返したときに、隣で別の人が手を振っているのを横目で見たときだけは、「自分は幻なんじゃなかったっけ」と思って良い。

幻とはぼんやり見えたり見えなかったりするものなのである。
いわば靄であり、霞だ。
幻のものを食べても食べた気がしないだろうし、幻のアイテムを身に着けたところで、肌がスースーするだろう。
幻のパンツに幻のシャツ着て、その上に幻のジーパンに幻のジャケット、さらには幻のハットを被って着こなせる、そんな人間はとどのつまり、幻でしかないのかもしれない。